
個人顧問弁護士とは

顧問とは、団体や企業、個人から依頼を受けて、専門的知識や経験に基づいた助言、相談、支援を行う相談役を指し、会社などでは、社内顧問として退任した取締役等、社外顧問として、弁護士等が就任することが多い役職です。
個人顧問弁護士は、個人の方と顧問契約を締結して、このような助言、相談、支援等の顧問業務を継続的に行う弁護士のことです。通常、裁判等で単発事件の依頼を受けて、事件の相手方と交渉をしたり、裁判所に訴訟を提起したりする外向きの代理業務との対比で言うと、顧問契約をした個人の方が弁護士に相談をして、助言を得たり、支援を受けたりする対内的なアドバイザーとしての弁護士業務となります。

人生の伴走者として支える〜「人生参謀」としての顧問弁護士
たいよう法律事務所の個人顧問は、法律問題が起きたときだけの相談先ではなく、日々の暮らしや人生設計も含めて継続的に寄り添うための顧問契約です。
離婚、相続、労働問題といった人生の転機となる重大な出来事、医療事故、介護事故、学校事故、労働事故、交通事故等の各種事故被害に遭うこと、進学、結婚、企業、転職、病気や怪我、家庭や仕事での悩みなど、人生にはさまざまな課題があります。
個人も一人で全ての重荷を背負い込まずに経営者のように上手にエネルギーを確保できる
会社の経営者は、会社の事業運営に際してさまざまな問題に直面しますが、すべてを一人で背負い込むことはしません。
会社の経営者は、社内の専門部署や外部の専門家に問題を渡して任せたり、一緒に問題に向き合って重荷を共に分かち合ってもらって本来注力すべき経営にエネルギーを注げるようにします。会計問題は税理士、法律問題は弁護士、従業員問題は社労士といった具合です。さらに、本来の任務である経営問題についてすら、経営コンサルタントという参謀を使ってより良い事業運営を図ります。
これを個人にスライドさせて考えてみましょう。
私たち個人にとって、自分の人生は何よりも大切なものであり、経営者にとっての会社や事業に相当します。つまり、個人は自分の人生という事業の「経営者」、「CEO」にあたります。果たして個人は、自分の人生という航海の船長、人生という事業の運営者として、降りかかってくる様々な課題や重荷を上手に人に預けたり一緒に背負ってもらったりして、会社経営者のように本来自分が注力すべき領域にエネルギーを振り向けることができているでしょうか?
実際のところ、個人の多くは、一人きりで全ての課題を抱えて背負い込んで押しつぶされそうになっているというのがほとんどなはずです。
けれど、会社経営者が苦手な会計処理を自分で抱え込んだりせずに社内の経理部門に担当させたり、社外の税理士さんに任せたり、経営コンサルタントを雇ったりするように、個人だって、すべてを一人で背負い込んで孤独に思い悩んで苦しまずに、自分以外の力添えを受けて生きていくことが可能なのです。
たいよう法律事務所がご提案したいのは、個人の方も、経営者と同じように、大事な人生について、本来、自分が注力すべきことにフォーカスできるよう、重荷の預け先を持つことによって、重荷をいったん預けたり、一緒に担ってもらうことによって、重荷を背負うことで喪失するエネルギーを確保して、よりよく人生を運営していくことができるということです。
そして、この重荷の預け先として、弁護士は色々な面で最適な職業であるということです。
重荷の預け先いろいろ
よく外国映画などで、教会の告解室で司祭が小さな格子窓越しに悩みに苦しむ人から罪の告白を受けたり、問題を抱えた人が心理カウンセラーの長椅子に寝そべってカウンセリングを受けるような場面が出てきます。
日本では、このような文化は一般的ではありません。
以前は、地域社会のつながりや近隣の親戚関係などのコミュニティが、このような個人にとっての相談先の受け皿として機能していました。
悩みを抱える青年期の子供も、親子では反発心が湧いて打ち明けられないけれど、親戚のおじさんやいとこには本心を打ち明けて相談に乗ってもらい、相談を受けるほうも相談に乗って助けになることそのものに喜びを感じていました。
現在は、核家族化に伴い、お隣さんの顔すら満足に知らずに暮らし、親戚も遠方であったり、疎遠であったりして、悩み事の相談を持っていける先がないというのが実際のところです。
このように、個人が自分の人生についての悩みを相談する相手をまったく持たないまま生きなければならないというのは、実はとても過酷な事態であるといえます。
このように、人生での悩みやトラブルについての相談の受け皿となるところがほとんどないために、悩みを誰にも相談も打ち明けることもできないまま悶々と暮らして、とことんメンタルがダメージを受けてどうしようもなくなった段階でようやく心療内科の門を叩くというのが関の山というのが現代日本の実情です。
そして、日本の心療内科や精神科は、カウンセリング的な心理療法よりも、薬物療法が主流であり、時間をかけて悩みを聞いてカウンセリング的な対応をしてもらえると期待して受診したけれど、診察待ちで1時間、5分間診療で薬の処方で終了という一般内科等でよくある診療場面と同じような流れで終わるということも少なくありません。
もちろん、例えば、うつ状態になって希死念慮が出るまでになっているような場合には、このような非常事態からの脱出が急務となりますので、このような治療がむしろ必要であるのは言うまでもありません。
けれど、そこまで深刻な薬での治療が必要ないような状態でも、場合によっては薬物治療が行われてしまうこともありえ、人生上の悩みやトラブルの相談等のニーズに対しては、適切な対処ではなく、副作用も伴いかねないバランスを欠いた過剰な対処となってしまいます。
パートナーや親友は?
他方で、中には、配偶者やパートナー、家族や親友が良い相談先となってくれるという方もいると思います。
ですが、悩みやトラブルによっては、配偶者等であればこそ、心配をかけてしまいそうで、かえって打ち明けづらいと言うこともあります。とくに、他者と共感して気持ちを分かち合うことが上手な人の多い女性と比較して、男性は、黙って耐えることが強い男の美学だという昭和的価値観がいまだに払拭しきれていないのか、他者に自分の弱みを見せて相談するということが苦手な人が一般的に多く、一人で重荷を背負い込んで重圧に押し潰されそうになっているという生き方になりがちです。
また、親友がよき相談役となっているというケースでも、深刻な悩みについて、親友に秘密を思い切って打ち明けて相談したところ、相談相手が意図的ではないにせよ、ポロっと他の友人に漏らしてしまって、結果的にせっかくの友情にヒビが入ってしまうということもあり得ます。本当に人の口に戸は立てられないものです。
占い師やライフコーチ
他方、占い師や民間資格や無資格の心理カウンセラーやライフコーチ等々、相談先になりそうなところは色々とありますが、目が飛び出すほど費用が高額であったり、相談やカウンセリングの土台となる相談スキルや秘密保持についての保証に不安が残ったりと、自分にふさわしい相談先を見つけること自体、一苦労といえるでしょう。
この点で、弁護士には、法律上、守秘義務が課されていますので、顧問弁護士に打ち明けて相談した事柄が、弁護士以外の誰かに漏洩することは絶対にありえません。実際に、悩みやトラブルについて打ち明けて相談する上で、これほどの安心感が担保される相談相手は他にないでしょう。実際に、相談する前の段階でも、自分には、何を打ち明けようとも絶対に危険のない相談先があるという安心感は、自信を持って人生を歩む大きな精神的な後ろ盾となります。
そして、占い師やライフコーチは、根拠がはっきりしないスピリチュアル的な占術であったり、独善的な自己啓発メソッドを相談の基盤とするもので、多くは地に足のついた実践的なものというよりは、単に壁打ち相手として機能するとか、その場だけ気分を盛り立ててくれるだけ、ときには、心霊的であったり反社会的な思想を刷り込まれてかえって悩みが深刻化したり、問題を棚上げ・先送りするだけに終わったりという事態も起こり得ます。
チャッピーやジェミニ等のAIこそ適任じゃないの?
また、近時は、AIが悩み相談相手として活用されるようになっています。AIには、時間帯や回数を気にせず、しかも、相手が機械であるので、気兼ねせずに率直に悩みを打ち明けて相談することができ、しかも、論理的思考力や素材として活用できる無限に近い情報・知識を持つだけに、有意義な相談相手であることは事実です。
しかし、ネット上に散らばる虚偽情報を素材として用いることで起こる、いわゆるハルシネーションによる誤った導きがなされてしまうことも決してあり得ないことではありません。
そして、何より大事なポイントは、人生上の悩みというものには、万人共通の「正解」というものがないことです。どこか目的地を設定してそこに向かう道案内を頼むような事柄に関しては、カーナビやAIのような機械はとても頼りになるし、機械に人間が太刀打ちして勝てることはありません。
けれど、個性を持った個人が具体的な人生の局面ごとの置かれた境遇や特定の個性を持った誰かや組織との関係においてどう生きるかということに関しては、どれだけネット上の知見や情報を集積して分析、推論しても、最善の「正解」を弾き出すことはできません。AIは、クネヴィン・フレームワーク(解説記事を参照)でいう自明系や煩雑系のといった正解のある秩序領域の問題解決のサポーターとしては極めて有能ですが、複合系や混沌系といった正解のない無秩序の領域に属する問題に関しては、必ずしも有能ではなく、むしろ害になる危険もあります。
それは、そもそもAIが基本的に過去の統計データや確率に基づいて「最も確からしい正解」を出力する仕組みのため、正解が存在しない、あるいは状況が刻々と変わる動的な「複合系」では、適切な「実験(Probe-Sense-Respond)」の主導や予測が困難だし、因果関係が見えず、一刻も早い「行動(Act)」による状況の鎮静化が必要な領域である「混沌系」についても、リアルタイムの物理的・偶発的な危機に対応して即座に身体的・組織的行動を起こすことができないAIは助けになれないからです。
人生の転機においては、どこに向かうべきか、何が正解かがわからないからこそ悩むわけで、カーナビに「どこに向かえばいい?」と聞くのが頓珍漢であるように、AIに自分の進路を尋ねたり相談するとき、人はAIを道具ではなく、導きを仰ぐ主人にして、主体性を喪失してしまいがちになり、かえって混迷の度合いを深めることにつながりかねません。目的を持った人が道具、しもべとしてAIを用いていたときにはその人の思考を深める役に立ったAIの無限の情報アクセス能力と無数のシミュレーションは、目的設定に迷う人が導きを求める主人としてAIに頼る場合には、悩める当人の思考を代替してもっともらしい模範的な正解らしきものを提示してくれるだけに、その人の思考を停止させて自分の内面の声を聞こえなくしてしまいます。
私は片時もあなたのそばを離れません。私はあなたの一番の協力者にもなれば、一番のお荷物にもなります。私はあなたの背中を押して前に進めもすれば、足を引っ張りもします。
私がどうするかは、あなた次第。あなたがやることの半分は私に任せたほうがいいと思いますよ。私なら素早く正確にできますから。
私の扱いは簡単で、ただ厳しくすればいいのです。何をどうしてほしいかはっきり教えてもらったら、あとは何度か練習するだけで自動的にできるようになります。私はあらゆる偉人たちのしもべ。
ところが残念なことに、あらゆるだめな人たちのしもべでもあるのです。だめな人たちは、私のおかげでますますだめになります。私は機械ではありませんが、機械並みの正確さに加えて、人間の知能も使って仕事します。私を使って大もうけすることもできますが、破産することもありますよ。どっちにしても私には関係ありませんが。
私を厳しく躾ければ、世界はあなたにひれ伏すでしょう。でも甘やかしたら、私はあなたを破滅させます。
私は誰でしょう?
私は「習慣」です。
作者不詳(スティーブン・R.コヴィー著 「完訳 第8の習慣」445ページより)
これは、「習慣」についての語りですが、AIについても同じ仕組みがあてはまります。
AIには人生を経験することだけはできない
AIは、個人が自分の人生で五感で体感して経験したことから得た知識や情報を膨大に集めて分析することはできますが、AI自身が、自ら人としての人生を生きて経験して何かを感じたり、自分の内面からの魂の呼び声とでもいうべきものを聞いたりということだけはできません。
この点で、個人が自分の人生の局面での具体的状況で自分だけが出すべき答えを出す上での相談相手としては、実際に人生を経験している生身の人間が最適任であるということができます。
そして、そんな生身の人間の中でも、弁護士は、日常的に人間同士の生々しい法的紛争に関わる職務経験から蓄積した知見からの助言を行うので、落とし穴に落ちないように人生上のシミュレーションを提示するという形での相談役として貢献できる点に特色があります。
もちろん、助言者がAIであれ人間であれ、相談を求める人が歩む人生の「正解」を提示することは誰にもできません。それを見つけることができるのは本人だけです。
それでも、AIにはAIの良さが、人間には人間ならではの良さがあります。車の運転でも単に目的地に向かう際にはカーナビに頼るのが最善ですが、高級車やクレジットカードに付帯する人間のオペレーターによるコンシェルジュサービスが格別、腹を割って深く語り合うというようなサービスではないのに、機械ではなく人間が対応してくれるという点で、カーナビとは別次元のプレミアムな価値を置かれます。
これと同じように、個人の人生運営においても、そして、むしろ個人の人生運営であればこそ、単に効率性を追求すればよりよく生きられるというわけではなく、人と人とが心を通わせて語り合うことで初めて生まれる相手の本質に即した助言というものにはかけがえのない価値があると言えるでしょう。
人間を馬車に準えると
人間を分析的に捉えると、人の人生は、馬車での旅路のように例えることができます(THERE IS NO SPOON参考記事)。
すなわち、馬車は、馬車を牽引する馬、馬を制御する御者、馬車、馬車の奥に鎮座する主人からなります。
これを人間に置き換えると、馬は感情、御者は理性・エゴ、馬車は身体、主人は魂という位置付けになります。
人(魂)は、人生という旅で、馬車を使って目的地に向かう旅をします。
ある人は、故郷に帰るための旅、ある人は、大切な誰かにメッセージを届けるための旅、ある人は、世界の美しさを味わい尽くすための旅といったふうに、個々の人生の目指す目的地は人それぞれなはずです。
ですが、ある馬車の旅では、馬の力を御者が制御できずに、馬がかわいい異性の馬を追いかけて、目的地に向かうことができないまま、あるいは、別の馬車では、御者が馬を上手に制御できるものの、馬車の奥で主人が眠りこけているのをいいことに、主人の印籠とお金を使って馬車に財宝を詰め込みすぎて馬車が身動きが取れない状態になってといった具合で、主人が目覚めたときには、もう時すでに遅しという人生となることは少なくありません。
人の人生は、おそらく馬車の奥の主人が持っていたその馬車を使って辿り着くべき旅の目的地に向かうことができるかどうかが大事な鍵を握っているはずです。
この主人の本懐は、馬の制御を御者ができるか、御者が主人の声に忠実に従うことができるか、主人が居眠りせずに目を覚まして、目を光らせられるか、といったことで遂げられるかどうかが左右されます。
人生参謀として弁護士松山健は、あなたという馬車の中の主人が目を覚まして本来向かうべき目的地に進む旅路をたどるお手伝いができることに何よりの喜びを感じます。













以上、少し熱く語りすぎましたので、以下では、かかりつけ医のように、顧問としての弁護士を持つことで個人の方が人生をより良く運営できるポイントを改めて簡単にまとめます。

かかりつけ弁護士という安心
体の具合が悪いとき、ふだんの体調や体質をわかってくれている医師に診てもらえると安心できるように、かかりつけ弁護士がいることも大きな安心につながります。ご本人を取り巻く環境や状況、考え方を継続的に把握している弁護士であれば、その場しのぎではない、実情に合った助言がしやすくなります。大きなトラブルが起きてから慌てて相談先を探すのではなく、日頃から頼れる存在があることが、紛争の回避や早期対応に役立ちます。
顧問が必要な理由
個人も顧問を持つ時代
企業では、顧問弁護士が契約書の確認や法的リスクの整理を担い、経営判断を支える存在として活用されています。個人の人生においても、本来は同じように、継続的な相談役や参謀役がいることに大きな意味があります。進路、仕事、家庭、人間関係、お金のことなど、人生には判断を誤りたくない場面が数多くあります。そうした局面で、ひとりで重圧を抱え込むのではなく、法的な視点も踏まえて状況を整理し、見通しを立てられる相手がいることは、日々の安心につながります。
予防法務で日常を守る
弁護士の仕事は、起きてしまったトラブルを解決することだけではありません。個人顧問では、離婚や相続、労働問題、刑事問題、各種事故、対人関係のもつれなど、問題が大きくなる前の段階から相談できることに価値があります。弁護士は、紛争の芽を早い段階で見つけ、将来の不利益を避けるための助言を行うことができます。少し気になる、ちょっと困ったことになりそう、そのような段階で相談することが、平穏で落ち着いた暮らしを守ることにつながります。
日々活用できる顧問

掛け捨てにしない使い方
個人の人生では、企業経営ほど頻繁に法的問題が起こるわけではないため、個人顧問契約に対して「万が一のときのための掛け捨て保険」のような印象を持たれることもあります。しかし、たいよう法律事務所では、個人顧問を非常時の備えだけにとどめず、日頃から役に立つものとして活用していただきたいと考えています。判断に迷うこと、気持ちの整理が必要なこと、先の見通しを立てたいことなど、日常の中でこそ継続的な相談先の価値が生まれます。
法律以外も相談できる
個人と企業の相違点として、会社の場合、日常的に契約書チェックであるとか従業員問題、取引先との問題等の法的助言を要する出来事が発生するので、顧問弁護士が活用できる場面があるのに対して、個人の場合、人生において、離婚や労働問題、事故被害、相続等の法的問題は起こりはしますが、会社のように、日常的に弁護士に相談する必要がある人生を送る人は稀です。
そのため、顧問契約締結当初は、顧問弁護士に意義を感じて契約したけれど、実際にはそれほど法的な相談事はないということを感じることも少なくないはずです。
そこで、たいよう法律事務所では、法的な問題という限定を取り払うことで、この課題をクリアしました。
「法的」問題を毎日、毎月、年がら年中抱えている個人はいないでしょうが、法的とは限らない「問題」となれば、むしろ逆に、いわゆる人生上の問題、悩みのない日常をずっと暮らせる個人のほうが稀のはずです。
このように、当事務所では、法律問題に限らない些細な悩みごとから人生の転機となるような局面での一大事の相談に至るまで、人生全般の相談役、人生参謀としてご利用いただける内容を目指しています。
仕事や家庭の悩み、今後の進路、生活の立て直し、新しい挑戦への不安など、「まだ法律問題ではないけれど、誰かと一緒に考えたい」という段階のご相談も可能です。弁護士として多くのトラブル解決に関わってきた経験を活かし、ご自身では気づきにくい論点を整理しながら、自分以外のもう一人の頭を使う感覚で、一緒に作戦を考える伴走者となります。
安心して話せる理由
守秘義務があるから安心
個人が抱える悩みの中には、友人や家族には打ち明けにくいものも少なくありません。恥ずかしさがあったり、心配をかけたくなかったりして、長い間ひとりで抱え込んでしまうこともあります。弁護士には守秘義務があり、相談内容が外部に漏れることはありません。だからこそ、知人にはとうてい話せないような内容でも、気負わず率直に相談しやすいという安心感があります。心の中の不安や迷いも含めて、洗いざらい話せる相談先としてご活用いただけます。
自分だけの安全基地に
自分の思いをありのまま話し、味方になって聞いてもらえる場所があることは、それだけでも大きな支えになります。たいよう法律事務所の個人顧問は、法律事務所を自分だけの秘密基地、安全基地のように感じていただける存在を目指しています。何かあったときに戻れる場所があるという心理的安全は、新しい一歩を踏み出す力にもつながります。失敗や不安を抱えたときにも、落ち着いて立て直し、再び前を向くための拠点としてご活用ください。
顧問でできること
自分運営をサポート
個人顧問で行うことの一例として、ご本人と一緒に、人生の目標や課題を整理し、自分にとって大切にしたい価値観や行動基準を明確にしていくお手伝いがあります。いわば「自分憲法」を整え、自分という人間をよりよく運営していくためのサポートです。ひとりでは継続が難しい課題や習慣づくりも、伴走者がいることで取り組みやすくなります。自分を律し、よりよい方向へ進むための支えとして、個人顧問をご活用いただけます。
家族でも利用できる
個人顧問は、ご本人だけでなく、一家全員で利用する「家族の弁護士」「ホームローヤー」としてご活用いただくことも可能です。たとえば、お父さんは勤務先での労働問題、お母さんは日常生活上のトラブル、お子さんは学校生活に関する悩みというように、ご家族それぞれの立場で異なるご相談をお受けできます。もちろん、弁護士には守秘義務がありますので、ご本人の了解なく、他のご家族へ相談内容を伝えることはありません。
実際の個人顧問の活用例
当事務所では、実際に、いろんな年齢や性別、お仕事の方々が個人で個人顧問を利用されていらっしゃいます。
・主婦の方から夫婦関係や育児の悩みの相談
・深刻な問題でなくても話し相手になってくれる相談相手がほしいという方
・専門職の方からの仕事面での相談
・学生の方から学校生活や勉強法の相談
・会社員の方からの職場での悩みや家庭の悩みの相談
・ご高齢の方からの人生を振り返りのお手伝いや遺言も含めた終活の相談
・これから新規に事業を立ち上げようと計画されている方
面談以外でも相談可能
通常の法律相談は、時間や場所が限られ、事務所での面談が前提になることも少なくありません。しかし、個人顧問であれば、事務所での面談だけでなく、電話、LINE、Zoomなど、そのときどきにもっともふさわしい方法でご相談いただけます。法的問題になっていない段階の予防法務的なご相談や、日常の人生相談的な活用にも向いているため、愛知県にお住まいの方はもちろん、愛知県外の方にもご利用いただくことが可能です。
まずは一度ご来所ください
離婚、相続、各種事故などで正式な事件対応が必要になった場合には、顧問契約があることで継続的なバックアップを受けやすくなるほか、対応の方向性も早めに整理しやすくなります。なお、当事務所は弁護士一名の事務所のため、信頼関係を大切にしながら少数の顧問先に絞っております。個人顧問をご希望の方は、まずはお気軽にご相談ください。
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