法律は戦うための「武器」になるだけはなく、人生を調和させる「楽器」にもなります
「法律」と聞くと、多くの人は「相手を攻撃し、裁判で勝つための武器」をイメージされるかもしれません。特に、すでにトラブルに巻き込まれている状況では、法律は戦うための道具に見えるのが当然です。
しかし、法律が作られた本来の目的は、人と人との関係を整え、みんなが安心して暮らせる社会を作ること——いわば法律は、オーケストラが美しい音楽を奏でるための「楽譜」のようなものです。
当事務所は、場面に応じて、法律を「武器」として使いますが、お客様の人生に平穏をもたらす「楽器」として活用することも忘れないでいたいと考えています。
1. 平常時:トラブルを防ぐ「楽器」として
争いのない平常時、法律は「リスクを避け、円満な関係を維持するためのガイドライン」です。 当事務所は顧問弁護士(人生の伴奏者)として、法律という「楽器」を正しく奏で、お客様の人生や事業に不協和音が生まれないようサポートします。
2. 非常事態:あなたを守る力強い「武器」として
ですが、人生には突然の事故、離婚、相続、学校問題などの「非常事態」が起こることもあります。 個人的な戦いに巻き込まれ、相手と直接交渉するのは強いストレスを伴い、心の平和を奪われます。
そのような非常時、当事務所はあなたを守る力強い「武器」をとります。 弁護士が代理人となって敵対交渉の矢面に立ち、相手に対して徹底的に主張・立証を行います。あなたが奪われたコントロール権を取り戻すため、戦うべき時には徹底的に戦います。
3. 解決時:戦いを終わらせ、再び「楽器」へ
ただし、「戦うこと」自体が目的ではありません。 戦いだけに囚われると、かえって傷が深くなり、心の平穏を取り戻せなくなってしまうからです(毒蛇に噛まれた時、蛇を追いかけるより治療が先決であるのと同じです)。
徹底的に戦い、優位な状況を作ったうえで、早期かつ円満な解決(示談・和解)が見込める場合には、法律の役目を「武器」から再び「楽器」へと切り替えます。相手との不協和音を整え、あなたの人生に静けさと調和を取り戻すことこそが、私たちの本当の役割です。
4. 人生のあらゆる局面で寄り添う「プライベート・ピースメイカー」
事故やトラブルが起きてから探す法律事務所から、 日常の「もしも」を防ぐ、あなたと会社のパートナーへ。
—— たいよう法律事務所が目指す、お客さまと弁護士とのお付き合いの新しいかたち。
とくに個人の方にとって、これまでの弁護士は「救急車」や「警察」のような、何か、ことが起こって初めて登場する火消し役のような位置づけでした。ですので、多くの方にとって、法律事務所は縁遠い存在で「深刻なトラブルが起きてしまってから、初めて探して駆け込む場所」、できるものなら一生関わらずに暮らしたいという存在でした。 いわば、急病や怪我で呼ぶ「救急車」や、事件・被害が起きてから呼ぶ「警察」のような敬遠したい存在だったと言えます。
離婚、解雇、相続といった人生の大きな転機、あるいは、交通事故や労働災害、医療事故などの予期せぬ被害トラブルが起きてからの対応では、どうしても対応が後手後手に回り、受けるダメージや精神的・金銭的な負担も大きくなってしまいます。
これからの弁護士は「ホームドクター」であり「予防、保守・警備、修復システム」です
たいよう法律事務所が提案するのは、非常事態をあらかじめ回避するアドバイザー(顧問契約)、人生の転機に際しての立て直しのサポート(離婚、相続、労働問題)と万が一の事故の際のリカバー(医療・介護、学校、労働、交通等の各種事故)という関わり方です。
- 個人・ご家族の皆さまへ【ホームドクター(かかりつけ医)のように】 日頃のちょっとした疑問や懸念を気軽に相談できる仕組みをご用意しています。病気になる前の「未病」の段階で手を打つことで、将来の大きな紛争や不利益を未然に防ぎます。
- 企業・事業者の皆様へ【防犯システム・セキュリティとして】 会社を守る警備会社のように、また、IT機器等オフィス機器の保守管理業者のように、平常時から業務上のリスクを監視・分析します。規約の整備や契約内容のチェックなどを日常的に行うことで、法的リスクを事前にシャットアウトします。
万が一の非常事態でも、圧倒的に「迅速」かつ「的確」に
平常時から状況やご事情を把握し、お互いに人柄も知り合っている「かかりつけ弁護士」がいることで、仮に予期せぬトラブルが発生した場合でも、即座に最適な初動をとることが可能です。
あなたと、あなたのご家族、そしてあなたの会社を守る一貫した「保安システム」として——。
たいよう法律事務所は、いつでもあなたのそばに寄り添い、平常時の平穏を守る「伴走者(伴奏者)」であり、非常事態からあなたを「守護者」として守り抜きます。
以上、簡潔に法律をときに武器として、ときに楽器として用いて、人生の平安を守るという基本理念をまとめました。以下では、より詳細に説明いたします。

法律は武器ではなく、楽器である
多くの人は、法律を「武器」だと考えがちです。相手を打ち負かし、自分が勝つための道具であると。
けれど、私は法律は相手を負かすための「武器」となるだけではなく、みんなの平和を守り安らぎをもたらすための「楽器」にもなると考えています。
これは、少しも、奇を衒ってポエムっぽく、うまいことを言いたいというわけではありません。
ここは、法律が定められる本来の仕組みに立ち返って考えてもらえば、すぐにわかってもらえると思います。
法律が制定されるのは何のため?
本来、法律は、国民同士を裁判で戦わせることを目的として作られるわけではありません。
法律は、人と人との関係を整え、社会に秩序をもたらし、安心して暮らせる状態をつくるために存在しています。
法律は、個人と個人の契約の大規模版です。家庭で定める家訓、会社や団体の定款や規則といった集団の中でみんなが守るべきものとして取り決めた規範を社会、国家として定めたものが法律です。
取引相手と契約を交わし、団体で規則を定めるのは、相手や仲間を攻撃したいからではありません。
むしろ、相手や仲間とトラブルを起こさずに円満に関係を維持するために、つまり、個人間や団体・社会の平和のために契約を結び、規則を定めるわけです。
法律もまったく同じで、国民の社会生活が平穏で安全であるようにとの願いを受けて、国民の代表機関である国会が国家の平安のために定めるのです。
したがって、法律というものが定められる目的は、争いのためではなく、平和のためというのが本来の正常な感覚であるということになります。オーケストラのメンバーが調和のとれた美しい音楽を演奏できるようにするための楽譜(指揮者のフルスコア(総譜)と奏者ごとのパート譜)のようなものです。
平和のために作られたはずの法律が、何で「武器」であるようにイメージされちゃうの?

では、このように平和のためにあるはずの法律が、まるで武器であるかのように感じられるのはどうしてなのでしょうか?
これは特に法律事務所のウェブサイトを見ている場面では、法廷闘争の道具として弁護士が裁判で法律を武器に戦うイメージが無意識ながらに先入観として入ってしまうからだと言ってよいと思います。
すなわち、弁護士が介入する場面は主に、個人間の紛争であり、双方の利害が対立して、その対立利益の調整を法律によって図るがゆえに、双方が自分にとっての有利な法解釈を戦わせるという個人的な戦争状態だから、法律が「武器」としてイメージされるのはむしろ自然というわけです。
法律を制定する立法に携わる人たちからすれば、法律は、平和で安全な国を建築する設計図のような感覚、音楽であれば作曲をするような感覚でしょうし、法律を執行する行政に携わる人たちからすれば、法律は、国民みんなに平安と幸せを運び届けるための地図や計画表であり、音楽であれば楽譜に沿って演奏をするようなイメージで捉えているのではないでしょうか。
ですので、学生さんが社会見学で国会やお役所を訪問してそこで働く人たちから法律についての話を聞いたり講義をしてもらう場面では、平和と秩序に満ちた国や社会を思い描いて現実化する前向きで明るいメッセージが語られることになるので、話す方も聞く方も、少なくとも、法律が「武器」だなんてイメージだけは持ちにくいはずです。
ですが、立法・行政・司法のうち、司法だけは、法律を機械的に当てはめるだけでは解決困難な事象、特に個人間の利害が対立する問題に法律を解釈して使う役割を担うだけに、宿命的に、負のイメージを免れません。音楽の演奏で、楽譜に沿わない音が出て不協和音が鳴り響いて、音が楽ではなく苦になっている状態です。
当事務所では、この不協和音がお客様の人生に入り込まないお手伝いをすることを使命として位置付けています。
具体的には、平常時は顧問弁護士として法律を「楽器」として用い、人生の転機や事故等の非常時には法律を「武器」に戦いつつ、解決の際には武器から楽器にシフトするというイメージです。
非常事態では守護者となってあなたの代理人として徹底的に戦います!
例えば、夫が不貞していることが判明して、夫や不貞相手と対面して話し合いをしたり、子どもが学校で、先生が見て見ぬふりをしている場面での同級生の子からの加害によって大怪我をした際に、学校と直接やりとりしたりといった場面では、相手の責任追及をおこなったり、相手からの反論への対応をしたりといったやりとりは非常にストレスフルです。
このような非常事態の個人的な戦争状態に置かれること自体が普段の平穏状態からかけ離れていて人生に大混乱を引き起こします。弁護士に依頼することには、このような戦争状態に直面する状態を弁護士が丸ごと引き取って代わりに戦ってくれるという点にまず大きな意義があります。
弁護士が代理人となって、相手方とのやりとりの矢面には自分は立たずに済むというだけで、それまで失っていた冷静な思考力と人生のコントロール権がある程度戻ってきます。
そして、通常の事故等での損害賠償請求事件等での代理人としての弁護士の役割は当然ながら、紛争の一方当事者の利益を求めて法的な主張・立証を展開することであり、解雇や離婚、相続という人生の転機となる事件が起こった場面や交通事故や医療事故等の事故被害に遭ったというような非常事態と言うべき局面では、私は平常時とは違って法律を平和を回復するための「武器」として使って徹底的に戦います。
これは、問題解決のために戦うことは必要であり、適正な被害回復を図るうえではむしろ、責任追及の手を緩めてはならないと考えているからです。紛争状態で相互に敵対している状態では、まずはぶつかり合って相互の主張や立証をとことん戦わせることが、問題点(争点)の整理や、お互いの感情的なしこりを解きほぐすためにも必須です。さらに、適正な解決を図るためにも、戦って相手の喉元に剣先を突きつける状態まで達した上であれば、とどめを刺さずに柔軟な解決に相手を従わせることも可能となります。戦わずに和平交渉として提案するだけでは、それが客観的にはあるべき着地点であったとしても、相手は蹴ってくるだけでしょう。
ただし、制裁感情に縛られたまま「戦うためだけの戦い」になることは決して、当事者本人にとって望ましいとは言えません。そこで、当事務所では、依頼者の方の最善の利益を図るべく、当事者ではなく客観的な観点からの助言として、早期かつ円満な解決が可能な場合には、法律の役目を「武器」から「楽器」に切り替えて、示談・和解での解決を目指すことが有益であるとの提案をするのが役割となるとの思いで活動しております。

紛争状態では「武器」だけでなく「楽器」も必要なはず
この点について、私は、法的紛争において大切なことは、当事者の方が紛争によって奪われた自分の平安と自分の人生の主導権を取り戻すことであると実感しています。被害者にあたる紛争の一方の当事者が加害者である相手方当事者を制裁することがそれに役立つこともあれば、かえって「被害者」として生きることに縛られて、平安と主体性を失うことにつながることもあります。
後述のように、非常事態には弁護士は代理人として徹底的に相手と戦い、それが使命となりますが、当事者ご本人の気持ちは、対人的な紛争に巻き込まれると、どうしても、相手を打ち負かすことで自分の傷が癒えるような感覚に支配されてしまいがちで、戦いそれ自体が目的化してしまうことが決して少なくありません。
しかし、毒蛇に噛まれた際に必要なのは、憎たらしい蛇を捕まえてとっちめることではなく、抗毒素血清の投与等の治療を受けることであるのと同じように、相手を制裁することが自分の平安や主体性の回復に無益で、しかも、自分の中の毒を全身に巡らせて自滅につながる場合もありえます(THERE IS NO SPOONの関連記事はこちら)。
戦場の上空へ
この意味で、紛争に巻き込まれた場面でどのように対応するかは、大切な人生をどう生きるかに大きく影響します。
この点で、法律を武器ではなく、楽器だと考える発想、観点は、相手との地上での戦闘状態に縛られている視座を上空に高めて自分と相手を俯瞰するチャンスを与えてくれます。
紛争は人の心の平安と自己決定権を奪い取る
紛争は、人の心から平穏を奪い、怒り、不安、恐れ、憎しみは、相手の制裁、相手からの謝罪や賠償が果たされない限りおさまらず、自分の幸不幸の選択権は奪われて、相手の態度次第となり、許せないはずの相手方に自分の人生の支配権を委ねる結果となるパラドックスに陥り、不協和音が鳴り響き、人生の調和は失われます。
法律が調律する
「楽器」の「楽」は、音楽の「楽」であると同時に、安楽・極楽・娯楽の「楽」でもあります。
法律という道具を本来の平安を守るための道具「楽器」として正しく奏でることで、その不協和音を整え、再び人生に静けさを取り戻すことができます。
だから、法律は、相手を傷つける「武器」としてではなく、自分を調律し、相手との軋轢と不協和音を整えて、人生を調和のとれた音楽に戻すための「楽器」なのです(ちなみに、中国では弁護士のことを「律師」と言います)。
平安は選択するもの
私たちは、法律というのは、愛とは無縁の冷徹な機械的なシステムであるように感じがちです。
ですが、法律が定められるのは、社会の平安を守り、個人が幸福であるためです。
それは、言葉や暴力、差別によって人間としての尊厳が損なわれることのないよう自分や他者みんなを大切に守りたい、という愛を目的に、正義という公平さを具現化したものとして法律が奉仕するという仕組みです。この意味で、愛と法律は目的と手段、主人としもべという密接な関係にある切り離せないものだといえます。
そして、この主従関係から導き出されるのは、しもべである正義は愛や思いやりを差し置いて主人の座に就いてはならないということです。
奇跡のコースでは、実在するのは愛のみであり、愛の不在が恐れであると言います。人は人生のあらゆる局面で、実在する愛と実在しない恐れの選択をしており、私たちに求められるのは、いつでも「愛」を選ぶことであり、愛を選ぶ手段として正義が奉仕すべきなのだと教えています(THERE IS NO SPOON記事「愛に戻される正義」)。
心の平安と愛は、実在するものの別の側面であり、同義といえます。したがって、紛争と平安は、私たち個人が自分の選択によって選びとるものだといえます。
法律知識、相談、契約、交渉、裁判という法律家のマインドセットとスキルセット、そして、トラブル解決に携わることで蓄積した知識や経験は、紛争の当事者の方が平安を選ぶための支援に活かすことができます。
たいよう法律事務所は、トラブルのない平常時に関わる顧問弁護士業務においては、不必要な争いを煽ったり、誰かを攻撃するための武器としてではなく、思わぬ落とし穴に落ちることを回避し、円満な人生や会社運営のための指針として、つまり、法律本来の平安な状態を維持してあなたの世界に静けさと安らぎを保つための「楽器」として法律を使います。
人生の伴走者(伴奏者)
このように、たいよう法律事務所は、トラブルのない平常時から、人生の伴走(伴奏)者〜紛争に平和をもたらすピースメイカーとしてあなたの人生に寄り添います
転職するとき、結婚するとき、離婚するとき、会社を作るとき、親の介護が始まるとき、病院とのトラブル、子どもの学校問題、相続と、人生には何度も分岐点があります。
そのたびに、一人きりで判断する必要はありません。平常時からの相談役(顧問弁護士)としてお役に立ちます。
そして、人生の転機や事故等の非常事態が起こったときには、代理人となって、あなたのために徹底的に戦って本来の平和状態を回復します。
このように、たいよう法律事務所は、あなたの平常時の人生の平穏と安全を守り(顧問)、人生の転機に際しての立て直しのサポート(離婚、相続、労働問題)と万が一の事故の際のリカバー(医療・介護、学校、労働、交通等の各種事故)という人生のさまざまな局面にわたる人生の伴走者(伴奏者)・守護者となるプライベート・ピースメイカーとして、相談者・依頼者の皆さまに貢献します。
THERE IS NO SPOON:奇跡のコースをベースとするウェブサイト
THERE IS NO SPOONは、このように自らの弁護士業務の役割を位置づける松山健の思考基盤となる「奇跡のコース」の翻訳文の紹介記事をベースに多様な哲学、心理学、思想等を交えての思索、エッセイを記したブログです。
圧倒的な分量の膨大な英文翻訳と、関連エッセイ、各記事の冒頭には、参考になる世界の偉人たちの名言、そして、Gemini Notebook(旧NotebookLM)の音声解説やスライド等を体系的にまとめたウェブサイトであり、多忙な弁護士業務の傍ら作り上げた(いまだに進化をし続けている)このサイトの存在は、単に弁護士松山健の思想的な理念を示すだけでなく、これと決めたことに関しては、とことん粘り強く情熱を傾けて最善をさらに最善へと高めようとする性分であり、その通り実践していることを感じていただけると思います。
THERE IS NO SPOONは、名言コレクターとして私が共感した偉人たちの名言を各記事の冒頭でたくさん紹介しているので、奇跡のコースに興味が湧かなくても、名言集として活用してもらうこともできますので、ご興味を持っていただけた方には、ご覧いただけるとうれしいです。















