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「もう怒らないようにしよう」と決めたのに、また腹を立ててしまう。「気にしないようにしよう」と思っているのに、何度も同じことを思い出す。新しいことに挑戦したいと思う一方で、「失敗するくらいなら、やめておいた方がいい」という気持ちも湧いてくる。
私たちは日常生活の中で、このように「一方ではこうしたいが、もう一方ではそうしたくない」という矛盾した気持ちを経験します。そのたびに、「自分は意志が弱い」「どうしてこんな性格なのだろう」と考えてしまうこともあります。
しかし、そもそも「私」という存在は、それほど一枚岩のものではないのかもしれません。
このような人間の心のあり方を興味深い方法で捉える心理療法のモデルがあります。アメリカの心理療法家リチャード・C・シュワルツ博士が開発したInternal Family Systems Model(内的家族システムモデル。以下「IFS」といいます)です。


Richard C. Schwartz
リチャード・C.シュワルツ
IFSでは、人間の心を、一人の人間の中に複数の「パーツ(parts)」が存在する一つのシステムとして捉えます。そして、その基本的な考え方を象徴する言葉が、シュワルツ博士の著書のタイトルにもなっている「No Bad Parts(悪いパーツは一つもない)」(邦訳版タイトルは「悪い私はいない」)というものです。
家族療法から生まれた「心の中の家族」という考え方
シュワルツ博士は、もともと家族療法(Family Systems Model)を専門としていました。家族療法では、家族の中で何らかの問題が起きたとき、一人だけを「問題のある人」として切り離すのではなく、父親、母親、子ども、兄弟姉妹など、それぞれが互いに影響を及ぼし合う一つのシステムとして家族を理解しようとします。
ところが、家族関係の調整等によって理論的には問題は解決したはずなのに、依然として問題が解消しない症例への取り組みの中で、シュワルツ博士はある発見をします。
クライアントの話を聞いているうちに、シュワルツ博士は、人々が「私の心の中の一部はこうしたいと言っているけれど、別の一部はそれを怖がっている」といった表現を自然に使うことに気づきます。そこで、家族の外側で起きていることと似た相互作用が、一人の人間の内側でも起きているのではないかと考えるようになりました。
そうして、それまでの「外的」家族システムモデルの考え方を人間の「内的」世界に応用する形で内的家族システムモデルが誕生し、IFSが発展していきました。
矛盾した気持ちがあることは、それ自体おかしなことではない

私たちは普通、人の心は確固とした一枚岩であり、「本当の自分は一人である」と考えています。それゆえに、内的に心が分裂している状態は、昔の呼称でいう多重人格障害、つまり解離性同一性障害や、統合失調症(昔の呼称:精神分裂病)のような病理状態をイメージしてしまうため、自分の内面に矛盾した感情が出てくると戸惑います。
例えば、「私は家族を愛しているのに、一人になりたいと思うことがある」「成功したいと思っているのに、自分でチャンスを潰してしまう」「相手を許して楽になりたいのに、絶対に許してはいけないという気持ちもある」といったことは、普通に誰もが経験する心理なはずですが、これは本来あるべき正常な状態から外れた異常なことだと考えがちです。
IFSでは、このような心の多面性を異常なものとは考えません。「挑戦してみたい自分」と「失敗して傷つきたくない自分」が同時に存在していてもよい。相手を「許したい自分」と「許せない自分」が同時にいてもよい。どちらか一方だけが本当の自分で、もう一方が偽物なのではなく、どちらも自分を構成する自分の一部(IFSでは「パーツ」と呼びます)であると考えます。
この発想だけでも、自分の中にある矛盾した感情との付き合い方は少し変わってくるように思います。
私たちを守ろうとする「管理者パーツ」
IFSでは、人間の内面に存在するさまざまなパーツの働きを理解するため、代表的な役割として「管理者パーツ(Managers)」「消防士パーツ(Firefighters)」「エグザイル・パーツ(追放された者 Exiles)」という分類を用います。
まず管理者パーツは、日常生活を管理し、危険なことが起こらないよう先回りして自分を守ろうとするパーツです。
例えば、完璧主義、過度の心配、人の顔色をうかがうこと、何でも自分でコントロールしようとすること、猛烈に働くこと、失敗する前に挑戦を諦めること、自分を厳しく批判することなどが、場合によってはマネージャー的な働きをすることがあります。

こうした性格や行動は、本人にとっても「直したい欠点」に見えるかもしれません。しかしIFSでは、それを直ちに排除しようとするのではなく、「このパーツは、いったい何から自分を守ろうとしているのだろう」と考えます。
例えば、心の中でいつも「まだダメだ」「もっと頑張れ」「そんなことでは人に認めてもらえない」と自分を批判するパーツがいるとします。本人にとっては非常に嫌な存在でしょう。しかし、そのパーツの働きを丁寧に考えてみると、「自分が先に厳しくしておけば、他人から批判されて深く傷つかなくて済む」という意図が隠れている場合があります。
方法は適切でないかもしれません。それでも、そのパーツは長い間、自分なりの方法で本人を守ろうとしてきたのかもしれない。IFSではそのように考えます。
心の奥の潜在意識に追放された「エグザイル」
そのさらに奥には、「エグザイル・パーツ Exiles(追放されたパーツ)」と呼ばれるものが存在します。
過去に深く傷ついた経験、怖かった経験、恥ずかしかった経験、拒絶された経験、あるいは「自分には価値がない」と感じた経験など、強い痛みを抱えているパーツです。その感情があまりにつらいため、普段は心の奥に押し込められています。



そして管理者パーツは、その傷ついたエグザイル・パーツが再び表に出てこないよう、「完璧でいなければならない」「人に嫌われてはいけない」「弱みを見せてはいけない」「失敗してはいけない」と本人を管理し続けることになります。
表面に現れている完璧主義や過剰な自己批判だけを取り除こうとしても、その奥にある不安や痛みが変わらなければ、別の形で同じ問題が現れるかもしれません。IFSがパーツの表面的な行動だけではなく、その背後にある役割や理由を理解しようとするのは、このためです。
苦しさを今すぐ消そうとする「消防士」
どれほど管理者パーツが頑張っても、過去のトラウマ体験を想起させるトリガーとなるようなエピソードを契機に、燻っていたエグザイルたちが暴発して、傷ついた感情が突然表に出てくることがあります。そのときに活動するのが「Firefighters(消防士)」です。

火事が起きたとき、消防士は原因をゆっくり分析するよりも、まず火を消そうとします。同じように、つらい感情が噴き出したときに、「何でもいいから、この苦しさを今すぐ消したい」と反応するのが消防士パーツです。
極端な場合には、過食、アルコールや薬物、ギャンブルへの依存、衝動的な行動などがその役割を果たすことがあります。もっと日常的なところでも、嫌なことがあったので延々と動画を見る、衝動買いをする、仕事に没頭する、突然怒りを爆発させる、といった行動の背景に、「今感じている苦しさから、とにかく自分を逃がしたい」という働きが隠れている場合があります。
ギャンブルで身を持ち崩すような有害な行動はもちろん、歯止めをかけるべき場合があるのはいうまでもありません。
逆に、仕事や勉強や人助けという一般的に「よい」とされる行動で消防士が働く場合には、その病理性がマスクされやすいために、自覚のないまま消防士がつねに稼働する状態が常態となって、本当の自分が求める生き方を無視したまま、寄生虫にコントロールされた芋虫のように突き動かされるように生き、突然、心が折れて廃人のようになってしまう場合もあります。
IFSが興味深いのは、行動の是非を判断することと、その行動の背後にある意図を理解することを区別する点です。

心の王朝
IFSの考え方を理解する上では、王国の朝廷を心の顕在意識、王座に座る王をセルフ、王の前に並ぶ大臣や将軍等の家臣を管理者パーツや消防士パーツ、王朝の外に追放されたエグザイルがいる心の潜在意識としてイメージするのが役立ちます。

王座には、本来、その人の本当の自己である魂、セルフ(Self)が就いて、愛情深さや大胆さ、こまやかな感性、等々の感情や計画性や管理能力といった理性という想念は、王を補佐する家臣として役目を果たし、王から呼び出されたら、それに応じて王の指揮の下にそれぞれの役割を果たして王の執政を助け、王国の隅々の王国の構成員である国民たちが王国の中での自分の居場所で自分の役目を粛々とこなせるよう王国の統治体制が調和をもって運営されるべきです。
このあるべき姿は、人が成長するプロセスにおいて、とくに幼少期から多感な思春期にかけて親をはじめとする他者との交流の中での軋轢、虐待、不遇等に直面した際に機能不全に陥りがちです。
肉体的にも精神的にも未成熟であるために、虐待やいじめ等のトラウマ体験に遭遇すると、セルフが適切な対処を行うことができない事態が起こります。

そんなとき、廷臣のひとりがセルフや他のパーツを守ろうと急場凌ぎのために王座に就いてなんとかその場を乗り切るしかなくなります。


そうすると、それ以降、その廷臣が摂政や関白のような立場で王座に就き、王座を占めたまま王朝を取り仕切る管理者パーツとなります。





王座に座った管理者パーツは、トラウマ体験で傷ついた想念という廷臣たちを幼児の狭い了見で無能であるとか有害であると判定して裁いて、エグザイルとして王朝から追放し、地下牢に幽閉します。




エグザイルとして追放された想念たちは、地下牢に閉じ込められても死滅することなく燻りつづけ、たまに暴発して同調する国民たちを焚き付けて一揆を起こすようになります(エグザイルについて詳しくはTHERE IS NO SPOONのこちらの記事を参照)。



そうなると、今度は、一揆によって王国が混乱するのを回避するために、廷臣の中には、エグザイルの暴発を防ぎ鎮圧する役目を担う消防士パーツが現れます。消防士パーツは、過食、アルコールや薬物、ギャンブルへの依存、衝動的な行動など、とにかく、今感じている苦しさから自分を楽にしたいという形で衝動を発散してエグザイルの暴発を防ごうとします。









IFSでは、管理者パーツと消防士パーツを合わせて「防衛パーツ」と呼びます。
こうして、成人になる頃には、王である本当の自分、セルフが眠りこけたまま、本当の自己ではない4歳児の時点で時間が止まったままの管理者パーツが心の王座に居座り、未熟な価値観で王朝をガチガチに支配し、そんな暴政に不満を抱いて定期的に暴発を繰り返す追放されたエグザイルパーツと、その火消し役として大忙しの消防士パーツという3勢力がそれぞれに同調する感情や想念という国民たちを従えて心の中で対立して群雄割拠する戦国の世が混迷を極めている、というのが普通に成長する「健常」な私たちの内面世界なのです。




「悪いパーツはいない」
ここでIFSの中心的な考え方である「No Bad Parts」に戻ります。
これは、「悪いパーツはいない」ということですが、それは「どのような行動をしても構わない」という意味ではありません。自分や他人を傷つける行為を肯定するわけではありません。
そうではなく、問題のある行動を引き起こしているパーツにも、もともとは本人を守ろうとする理由があると考えるのです。
I am not asking you to accept your depression or learn to cope with your inner critic.
私はあなたに、自分のうつ状態を受け入れたり、自分の内なる批判者に折り合いをつけることを学ぶように求めているわけではありません。
I’m suggesting that if you relate to any part differently, it will unload its destructive burdens and transform into something valuable.
私が気づいてもらいたいと思っているのは、もしあなたがどのパーツに対しても、これまでとは違う関わり方をすれば、そのパートは破壊的な重荷を降ろして、価値のある存在に変わるということです。
As difficult as this may be to believe, even the most diabolical of them is a good part forced into a bad role.
このことは信じがたいかもしれませんが、諸々のパーツの中で最も悪魔的で極悪非道に思えるパートであっても、実は、悪い役割を押し付けられたよいパートなのです。
I never met a part that ultimately I didn’t like.
私はこれまで、最終的に好きになれないパーツに出会ったことは一度もありません。
And I’ve met some nasty parts—some that wanted to kill my client and others that had molested children.
これまで私は、私のクライアントを殺そうとしたパートや、子どもたちに性的な虐待を加えたパートなど、胸が悪くなるほど下劣なパーツたちにも出会ってきました。
Even those apparent inner demons, when approached with nonjudgmental curiosity, revealed the reasons that had forced them into those roles and their shame at what they had done.
これらの内なる悪魔のように思えるパーツたちも、無批判な好奇心を持って近づくと、自分たちがそのような役割を強いられた理由と、自分たちがしでかしてしまったことを恥じる思いを打ち明けてきました。
Even those very extreme parts eventually transformed.
それらの非常に極端なパーツも、最終的には変化したのです。

Richard C. Schwartz, Introduction to Internal Family Systems p.84
リチャード・C.シュワルツ
機能不全のパーツを消去すれば問題は解決するんじゃないの?
素朴に発想すると、機能不全を起こしているパーツがトラブルの元になっているわけなのだから、そのパーツを消去させれば良いように思います。
しかし、IFSの目的は、好ましくないパーツを心の中から消去することではありません。ここはとても重要なポイントです。その理由は、「悪者」を排除・追放するという問題解決手法は、まさに管理者パーツが王朝から追放してエグザイル・パーツを生み出している仕組みそのもので、結局、かえって問題を深刻化させたり、あらたに別の問題を生み出す結果になるだけだからです。


IFSが取り組むのは、特定のパーツを悪者視して消去しようとするのではなく、そのパーツを癒すことです。
すなわち、その機能不全を起こしているパーツ自体が悪いわけではなく、そのパーツが担っている役割が重荷としてそのパーツを機能不全に陥らせているという仕組みの理解を前提に発想します。そうすると、必要なのは、「悪い」パーツを罰したり消去することではなく、幼少期のトラウマ体験の対処で身につけたやり方ですべての問題を解決しようとする健気ながんばりが空転している(クネヴィン・フレームワーク参照)わけなので、もう問題解決をひとりで背追い込まなくてよいと重圧から解放してあげることが必要なだけと言うことになります。
具体的には、もう成熟したセルフがリーダーシップを発揮して、そのパーツがなぜ現在の役割を担うようになったのか、過去のトラウマ体験を一緒に目撃してを理解し、セルフがそのパーツから彼が重荷として担っている役割を引き取って、本来の機能ではない役割による重圧からそのパーツを解放してあげることです。
そうして、真の自己であるセルフとのつながりを取り戻したそのパーツは癒され、本来の自分の役目ではなかった管理者パーツという重荷から解放されて、そのパーツ本来の機能を回復されることになります。


この「悪いパーツはいない」という考え方に、「罪を憎んで人を憎まず」的なIFSの人間観が最もよく表れているように思います。
私たちは自分の嫌いなところを発見すると、それを排除しようとします。怒りっぽい自分をなくしたい。臆病な自分をなくしたい。嫉妬する自分をなくしたい。怠ける自分をなくしたい、と。
これに対してIFSは、「なぜ、このパーツはこんなことをしているのだろう」「このパーツは、何から私を守ろうとしているのだろう」と問いかけます。
自分の内面に巣食う害悪で敵だと思っていた自分の一部分について、その役割を理解しようとしてみる。すると、それまで自分の欠点だと思っていたものが、実は長い間、幼少期のトラウマ体験から自分を守るためにその時点でなんとか破滅を乗り切ることができたやり方(例えば、引きこもったり、怒りをぶちまけたり、拗ねたり)を、大人になった今も不器用に、いまだに馬鹿の一つ覚え的に使い続けていることに気づく場合があります。
言い換えればIFSは、自分の中にいる「敵」を倒すのではなく、自分の中で起きている紛争を理解しようとする考え方だともいえます。
パーツをまとめる「セルフ」という存在
このように、IFSでは、自分の中に怒っているパーツ、怖がっているパーツ、批判するパーツ、傷ついているパーツ、逃げたいパーツがいて、機能不全をおこしているのだとしても、「悪いパーツはいない」のであり、必要なのは、管理者パーツが王座に居座って未熟な狭い了見で恐怖政治を敷いている状態を解消して、王座から管理者パーツを退かせ本来そこを占めるべき王であるセルフが就く必要があるといいます。


そのための手段は、パーツにブレンドして眠りこけていた状態からセルフが目を覚まし、幼少期のトラウマ体験等によってその時点で立ち往生しているパーツたちに、管理者や消防士には、セルフが彼らが担う役割を引き取って本来担う必要のない役目を背負ってきた重荷として下ろしてもらい、エグザイルパーツには、封印されてエグザイルがひとりきりで抱え込んできた過去の体験をセルフが一緒に目撃して彼らからの信頼を得て愛情を注いで再びつながって癒すという方法です。

セルフはパーツのひとつではなく、パーツに完全に飲み込まれ(IFSでは「ブレンド」といいます)ていないときに現れる、いわば人間の本質的、中心的な存在として捉えられています。

シュワルツ博士は、セルフが前面に出ている状態の特徴を、しばしば「8つのC」で説明します。すなわち、Curiosity(好奇心)、Calm(穏やかさ)、Clarity(明晰さ)、Compassion(思いやり)、Confidence(自信)、Courage(勇気)、Creativity(創造性)、Connectedness(つながり)です。

重要なのは、セルフが独裁者のように他のパーツを押し黙らせて捩じ伏せて従わせる存在ではないということです。むしろ、それぞれの声を聞きながら、各自の持ち味を開花させて全体をまとめる指揮者やリーダーといった存在です。


怒っている自分に「怒ってはいけない」と命令するのではなく、「なぜそんなに怒っているのだろう」と関心を向ける。怖がっている自分を「弱い」と批判するのではなく、「何が起きることをそんなに恐れているのだろう」と考える。
IFSが目指しているのは、セルフがこのようなパーツたちという内的な家族を調和のとれたシステムとして機能するよう穏やかにリードする状態です。


この中心の調整薬となるリーダー、セルフと、内的な世界で個性を持って対立したり協力したりする管理者、エグザイル、消防士というパーツの関係性は、別の記事でご紹介した神道の一霊四魂や第8の習慣の肉体、知性、社会・情緒、精神、ヨーガの人間馬車説の考え方と通じるものがあると気づきます。
法的紛争の場面でも「心の中の紛争」が起きている
私は弁護士としてIFSの考え方に触れると、法的紛争をはじめとする社会的なトラブルにも通じるところがあると感じます。
例えば、一人の相談者の中に、「絶対に裁判をしたい」という気持ちと、「もうこれ以上争いたくない」という気持ちが同時に存在することがあります。「相手を許したい」と思う一方で、「絶対に許せない」とも思う。「離婚したい」と考えながら、「本当に別れてしまってよいのだろうか」という迷いもある。
このような場合、「では、本当の気持ちはどちらなのですか」と一つに決めようとしても、簡単には答えが出ません。
おそらく、どちらも本当の気持ちだからです。
争いたい自分には、争いたい理由がある。争いたくない自分にも、そう思う理由がある。一方を無理に黙らせるのではなく、それぞれが何を恐れ、何を守ろうとしているのかを理解したうえで、「自分全体として、これからどうしたいのか」を考えていく。
IFSは心理療法のモデルですが、このような考え方は、人生の重要な意思決定を考える際にも示唆を与えてくれるように思います。
紛争は「パーツとパーツの戦争」になることがある
IFSの考え方をもう少し広げると、対人関係についても興味深い見方ができます。
例えば、相手から強い言葉をぶつけられたとします。それによって、こちらの「攻撃されたくない」「馬鹿にされたくない」というパーツが強く反応し、こちらも強い言葉を返す。すると、今度は相手の「傷つけられたくない」というパーツが反応して、さらに強い言葉が返ってくる。
こうして、本来の問題とは別に「パーツとパーツの戦争」が始まります。
夫婦間の争いでも、職場の対立でも、訴訟でも、似たようなことが起こります。最初に解決しようとしていた問題よりも、「相手に負けたくない」「馬鹿にされたくない」「自分が正しいと認めさせたい」という問題の方が大きくなり、いつの間にか何のために争っているのか分からなくなることがあります。
法律によって権利義務を整理することは重要です。しかし、紛争が人間同士の間で起きる以上、法律だけでは説明できない感情の動きもあります。法律上の争点を整理すると同時に、こうした人間の側面を見ることも、紛争を解決するうえでは大切なのではないかと思います。
理解することと、許すことは同じではない
もっとも、IFSの考え方を「相手にも事情があるのだから、何をされても許すべきだ」という意味に理解するのは適切ではありません。
不当な行為に対しては、明確にNOと言わなければならない場合があります。相手と距離を置く必要もありますし、場合によっては法的責任を追及する必要もあります。
相手の行動の背景を理解しようとすることと、その行為を容認することは別の問題です。
ここは、自分自身のパーツについても同じことがあてはまります。「この怒りには理由がある」と理解することと、怒りに任せて他人を傷つけてよいということはまったく違います。
理解することは、責任をなくすことではありません。
むしろ、自分や相手の行動がどこから生じているのかを理解することで、感情に巻き込まれず、必要な境界線をより冷静に引くことができる場合もあるのではないでしょうか。
自分自身との戦争を終わらせる
私がIFSの思想の中で特に興味深いと思うのは、「悪いパーツはいない」という考え方です。
人間は、自分の中にある怒り、恐怖、嫉妬、憎悪、不安、弱さ、後悔などのネガティブな感情を、自分から切り離して消し去りたい、なくしてしまいたいと思うことがあります。しかし、それらをすべて敵とみなし、自分自身と戦い続けることが、本当に心の平穏につながるのでしょうか。
IFSは別の可能性を示します。
「なぜ私はこんなに怒っているのだろう」「何をそんなに怖がっているのだろう」「このパーツは、これまで何から私を守ろうとしてきたのだろう」と考えてみる。
排除する前に、その役割を理解してみる。
そうすることで、それまで欠点や敵だと思っていた自分の一部分であるパーツが、実は長い間、自分を守るために働いてきた存在だったと気づくことがあるかもしれません。
外の紛争と、内なる紛争
弁護士が扱うのは、基本的には人と人、あるいは人と組織との間で起きている外側の紛争です。
しかし実際に相談や依頼を受けていると、外側で紛争が起きているとき、その人の内側でも別の紛争が起きていることがあります。
戦うべきか、やめるべきか。許すべきか、許さないべきか。離れるべきか、もう一度信じるべきか。
こうした問いには、法律だけでは答えが出ません。
だからこそ、どれか一つの気持ちを「そんなことを考えてはいけない」と否定するのではなく、それぞれの気持ちが何を求め、何を守ろうとしているのかを一度考えてみる。そして最終的には、怒りや恐怖だけに動かされるのではなく、自分自身が自分の人生について決める。
IFSは本来、心理療法として発展してきたモデルです。しかし、その根底にある「自分の中の問題のある部分を敵として排除するのではなく、その部分が担う役割を理解し、内的な対立を調和させていく」という発想は、心理療法の領域を超えて、自分自身との付き合い方について考えるうえでとても興味深いものがあります。
外側の紛争に平和をもたらすことと、自分の中の紛争に平和をもたらすこと。
その二つは、私たちが考えている以上に深くつながっているのかもしれません。
セルフ・リーダーシップ
リチャード・C.シュワルツさんの Introduction to Internal Family Systems から、セルフ・リーダーシップ(7つの習慣:第2の習慣)に関する一節を抜粋してご紹介します。

Self-Leadership セルフ・リーダーシップ
I was also finding that when clients accessed their Self, they began relating differently to the people around them in addition to parts within them.
私はまた、クライアントが彼らのセルフに接続すると、彼らが自らの内面のパーツに対してだけでなく、彼らの周囲の人々に対しても、それまでとは違った関わり方をしはじめることにも気がつきました。
It seemed that before they began doing IFS work, most clients had parts that didn’t trust the leadership of their Self in the outside world.
クライアントがIFSのワークに取り組みはじめる前は、ほとんどのクライアントたちは、彼らの真の自己であるセルフに外的世界でリーダーシップを発揮する能力があるとは信頼していないパーツを、自分の内面に抱えているようでした。
These parts jumped in to handle many kinds of external experiences because they believed they had to protect the system.
セルフを信頼していないこれらのパーツは、自分たちが内的システムを保護しなければならないと信じていたので、どんな種類の外的体験に対してでも、それに対処しようと首を突っ込んで介入してきました。
They were like parentified children who don’t trust that their parent is capable and, consequently, bravely take on responsibilities for the welfare of the family that are beyond their capacities.
それらのパーツはまるで、自分の親の問題解決能力を信じられず、そのために、家族の安全と幸福を守ろうとして、健気にも自分の能力を超えた責任を引き受けて親代わりの役割を担う子どものようでした。
As this changed—as these protective parts began to trust the clients’ Self to lead more in the outside world—either my clients’ relationships became more harmonious or they found the courage to leave relationships that had been exploitive.
この内的状況が変化していくと、つまり、これらの防衛パーツが、クライアントのセルフを信頼して、セルフに外的な世界での対処のリードをより委ねるようになりはじめるにつれて、私のクライアントが関わる関係性はより調和したものになり、彼らは一方的に搾取されるような関係から離れる勇気を持てるようになりました。
They became less reactive in crises and less overwhelmed by emotional episodes that used to do them in.
クライアントは、危機に瀕しても、あまり翻弄されなくなり、以前には感情の渦に呑まれてしまっていたような動揺させられるような出来事にも圧倒されなくなりました。
During such episodes, they would report that they now understood that a part of them, not all of them, was upset, so rather than blending with the part, they would notice it and then try to comfort it.
そのような出来事が起こっているときでも、彼らは、動揺しているのは、パーツのすべてではなく一部のパートだけなので、動揺しているパートとブレンドせずに、そのパートが動揺していることに気づいて、そのうえで、そのパートを安心させて落ち着かせるようにすればよいとわかってきたと報告するようになりました。
They didn’t always succeed in calming it down, but just the awareness that they were not the part helped them remain more centered.
もちろん、クライアントたちは必ずしもつねに動揺しているパーツを落ち着かせることに成功したわけではありませんでしたが、単に、自分と動揺しているそのパートとは同一ではないことを自覚するだけで、より冷静に中心軸に立つ状態を保つことができるようになりました。
They could wait until the storm blew over, secure in the knowledge that their Self would reemerge—that the sun would shine again.
彼らは、自分のセルフが再び姿を現わすこと、つまり太陽が再び輝き出すことが間違いないとわかったので、吹き荒れる嵐が過ぎ去るまで待つことができました。
After you get to know your own Self, you can sense when some degree of Self is present in people around you and when it’s not.
あなたが自分自身のセルフを知るようになると、あなたは自分の周囲の人々の中に、セルフがある程度現れているときと、セルフが姿を消しているときがあるのを感知できるようになります。

A person who is leading with the Self is easy to identify.
セルフが主導している人を見分けるのは簡単です。
To rephrase a joke, you get the impression that “the lights are on and someone is home.”
冗談めかして言うなら、あなたは「明かりが灯っているから、きっとこの家には誰かが居るはずだ。」という印象を受けます。
Others describe such a person as open, confident, and accepting—as having presence.
セルフ主導の人のことを、オープンで、自信があり、包容力があって、存在感がある人物だと表現する人もいます。
You feel immediately at ease when someone is Self-led, sensing that it is safe to relax and release your own Self.
相手がセルフ主導だと、あなたはすぐにくつろいだ気持ちになって、リラックスして自分自身のセルフを解放しても安全だと感じます。
When a person is in such a state, they generate remarks like, “I like them because I don’t have to pretend—I can be myself with them.”
人がセルフ主導の状態にあるとき、その人と接する人は自ずと「私はその人が好きです。なぜって、その人と一緒にいると、私は自分自身以外の何者かであるふりをする必要がなくって、私は自分自身でいられるから。」というようなセリフを語るようになります。
From the person’s eyes, voice, body language, and energy, you can tell you are in the presence of someone who is authentic, solid, and unpretentious.
セルフ主導の人の目や声、ボディーランゲージやエネルギーから、あなたは、自分が純粋無垢で中身が充実していて気取りのない正真正銘の本物の人物の前にいるのだとわかります。
You are attracted by the lack of agenda or need for self-promotion, as well as by their passion for life and commitment to service.
あなたは、その人といると、何かをしなければならないとか自分をよく見せなければならないという思いが消え失せて心安らぐことによってだけでなく、その人の人生に対する情熱と他者への奉仕に献身する様に心打たれて魅惑されます。
When a person is Self-led, they don’t need to be forced by moral or legal rules to do the right thing.
人がセルフ主導であるとき、その人が正しいことをなすために、道徳的ルールや法的ルールによって彼を強制することは無用です。
They are naturally compassionate and motivated to improve the human condition in some way because of the awareness that we are all connected.
強制などしなくても、彼らは生来の思いやりを持っているし、自分たちはみなつながり合っているという気づきにもとづいて、なんとしても人間性をより向上させたいという強い意欲を持っているからです。
Whenever I begin describing the qualities of a Self-leadership, it triggers parts of me that feel inadequate.
こうして私がセルフ・リーダーシップの特質について説明しはじめると、そのつど、私の中で自分の無力さを感じるパーツが呼び起こされます。
While at times I can embody some of those qualities, more often I’m a far cry from that person.
もちろん私にも、そのようなセルフ主導の人物が備える資質の一部を体現できるときもたまにはありますが、多くの場合は、私はそのような人物からは程遠いというのが実際のところだからです。
I believe one of the mistakes that some organized religions make is in holding up the image of a saintly person as a model of what their followers should be yet providing little practical advice on getting there other than by using willpower or prayer.
私は、一部の組織化された宗教が犯す間違いのひとつは、信者が模範とすべき聖人のような人物像を掲げておきながら、信者がその人物像に到達するための実践的なアドバイスとして、意志の力や祈りを用いること以外には、ほとんど何も提供していないことにあると考えています。
As a result, people feel chronically inferior and become angry at their emotions and thoughts that aren’t so evolved.
その結果、人々は慢性的に劣等感を感じ、自分の感情や思考が思うように成熟・進化していないことに怒りを感じるようになります。
To avoid that pitfall, it’s important to remember that very few people are constantly and fully Self-led.
そのような陥穽にはまるのを避けるためには、絶え間なく完全にセルフ主導であり続けられる人などどこにもいないということを覚えておくことが重要です。
On the rocky road of life, we are all, to varying degrees, rejected, humiliated, abandoned, and traumatized.
人生という困難な道において、私たちはみな、程度の差こそあれ、拒絶され、屈辱を受け、見捨てられ、トラウマを負う経験をします。
We all have pools of pain and shame, and protective strategies that are reinforced by our culture.
私たちはみな、苦痛と恥辱を溜め込むプールと防衛のための戦略部隊を持っているし、私たちの文化はそうすることを後押しします。
We all come to distrust our Self and put on a range of masks.
私たちはみな、自分のセルフを信頼できなくなって、さまざまな仮面を被るようになります。
Until those pools are fully drained and our protectors fully relax, Self-leadership will be fleeting at best.
それらのプールが完全に排水されて、私たちの保護パーツたちが完全に防衛体制を解いてリラックスするまでは、セルフ・リーダーシップを発揮できたとしても、それは、せいぜい束の間だけでしょう。
We move into Self-leadership by degrees, slowly accruing moments of inner and outer flow, gradually finding that we are not obliterated when we keep our heart open in the face of anger, that the sky doesn’t fall when we pause our constant worrying, and that we can comfort hurting inner children rather than being overwhelmed by them or exiling them.
私たちは少しずつ、セルフ・リーダーシップに移行し、内と外でフロー状態にある瞬間を少しずつ増やしてゆっくりと積み上げてゆくことで、怒りに直面しても心を開いてさえいれば、自分が破滅することはないし、私たちが絶え間なく心配するのをちょっとやめて小休止したからといって、空が落っこちてはこないということが徐々にわかってきます。そして、私たちは、インナーチャイルドに圧倒されたり、インナーチャイルドを追放したりするのではなく、傷ついたインナーチャイルドを慰めて安心させてあげることができるということが、だんだんわかってきます。
Margery Williams, in the children’s book The Velveteen Rabbit, helps us with the long-term perspective:
マージェリー・ウィリアムズは、児童書『ビロードのうさぎ』の中で、私たちに長期的な展望を持つことの大切さを教えてくれています。

“What is REAL?” asked the Rabbit one day . . . “Does it happen all at once, or bit by bit?”
ある日ビロードのウサギのぬいぐるみが尋ねました。「本物になるってどういうこと?」・・・「それは一度に起こるの、それとも少しずつ起こるの?」
“It doesn’t happen all at once,” said the Skin Horse.
「それは一度に起こるわけじゃないんだよ。」と毛の抜け落ちた馬のぬいぐるみは言いました。
“You become. It takes a long time.
「きみは少しずつ本物になってゆくんだ。それには長い時間がかかるんだよ。
That’s why it doesn’t often happen to people who break easily, or have sharp edges, or who have to be carefully kept.
だから、簡単に破けたり壊れてしまうぬいぐるみや鋭くとがった縁のあるおもちゃとか、傷つけないよう慎重に保管しなければならない人形なんかには、本物になるということが起こりにくいんだ。
Generally, by the time you are REAL, most of your hair has been loved off, and your eyes drop out and you get loose in the joints and very shabby.
普通、きみが本物になるときまでに、きみの毛はほとんど抜け落ちて、きみの目は外れてどこかにいってしまうし、きみの継ぎ目は緩んで、とってもみすぼらしい姿になっているはずだ。
But these things don’t matter at all, because once you are REAL you can’t be ugly, except to people who don’t understand.”
でも、そんなことはまったく問題じゃないんだよ。だって、いったんきみが本物になったら、きみが本物になったことが理解できない人たちにとって以外は、きみが醜いなんてことはありえないんだから。」

The IFS Model presents a path toward becoming more real—toward increased Self-leadership.
IFS モデルは、次第に本物になっていく、つまり、セルフ・リーダーシップを向上させることに向けた道筋を示しています。
It helps you learn how to break less easily, soften your sharp edges, and not have to manage yourself so carefully.
IFSモデルは、どうすれば簡単に破けたり壊れてしまわずにいられるか、どのようにしてあなたの刃物のように鋭利な部分を柔らかにするか、どうすれば腫物に触るように慎重に自分を扱わなくても済むようになるか、ということをあなたが学ぶ役に立ちます。
It is not always an easy or quick path, but most people begin feeling much better long before their hair is loved off and their eyes drop out.
それは必ずしも簡単にすぐに通り抜けられる道ではありませんが、ほとんどの人は、髪が抜け落ち、目が落ち窪むかなり前のより早い時点から、ずっと具合がよくなりはじめます。
It’s also true that once Self-led, you know that you can’t be ugly and that you can help the parts who are made to feel ugly.
もうひとつ間違いないことは、ひとたびセルフ主導になると、あなたは自分が醜くなるなんてありえないとわかるし、自分のことを醜いと感じさせるパーツが本物とは何なのかを理解するのを助けることが自分にはできることもわかるということです。
Few people come to me asking for increased Self-leadership, however.
とはいえ、セルフ・リーダーシップをより向上させることを求めて私のところにやって来る人はほとんどいません。
They come because they feel affected by people or situations, or by their emotions, thoughts, or symptoms.
多くの人は、自分がほかの人々や状況、あるいは自分の感情や考え、あるいは症状といったものに影響されていると感じているために私のところを訪れます。
As they access their Self to untangle the knotted inner relationships related to those impacts, they find that not only do the problems they entered therapy for improve but, as a bonus, their overall outlook and functioning do as well.
クライアントがそれらの影響に関連する絡み合った内なる関係を解きほぐすために自分のセルフにつながるようになると、彼らは、自分が当初改善を求めてセラピーを始めた問題が改善しているだけでなく、思いがけない特別なおまけとして、自分の人生の全般的な展望が開けて心身の機能が改善していることに気づくのです。
They have more Self in their lives.
それは、彼らが自分の生活の中でよりセルフとして生きるようになったからです。

Richard C. Schwartz, Introduction to Internal Family Systems p.32
リチャード・C.シュワルツ
今回ご紹介した考え方と書籍
Internal Family Systems(IFS/内的家族システムモデル)
Richard C. Schwartz, Ph.D.
IFSは、リチャード・C・シュワルツ博士によって開発された心理療法モデルです。人間の心を管理者、エグザイル、消防士の機能に分類できる複数の「パーツ」と、それらを導く「セルフ」という内的な家族からなるシステムとして捉えます。
邦訳されている一般向けの入門書としては、シュワルツ博士の『「悪い私」はいない』(『No Bad Parts』)があります。
タイトルにもなっている「悪い私はいない」という考え方は、IFSの基本的な人間観をよく表しています。
自分の中に「なくしてしまいたい」「直したい」と思っている部分があるとき、それをただ排除しようとするのではなく、「このパーツは、なぜこうなったのだろう?」「自分を何から守ろうとしているのだろう?」と考えてみる。
IFSは、そんな新しい角度から自分自身を見るきっかけを与えてくれる考え方です。
THERE IS NO SPOONの記事(レッスン19「私の思考の結果を体験するのは、私だけではない」)で、よりつっこんだ解説を行なっていますので、興味を持たれた方は、ぜひご覧ください。
※IFSは心理療法のモデルです。本稿はその基本的な考え方を一般向けの思考のための発想の観点として紹介するもので、精神疾患やトラウマについての自己診断や自己治療を勧めるものではありません。強い精神的な苦痛や生活上の支障がある場合には、精神科や心療内科の医師や公認心理師・臨床心理士など適切な専門家に相談することが大切ですので、ご留意ください。














