後世への最大遺物

弁護士という仕事をしていると、相談者、依頼者の方々の人生のさまざまな転機に立ち会います。

相続では、人が遺した財産をどう受け継ぐかを考えます。企業法務では、事業をどう次世代につなぐかを考えることになります。

けれど、人が後世に遺すことのできるものは、お金などの財産や家業や会社等の事業だけなのでしょうか。

今回ご紹介する、明治の思想家内村鑑三さんの『後世への最大遺物』は、すべての人に自分の人生をどう生きるかについて大切な問いを投げかけて、読者の人生を変える力を持つ本です(もともとは、THERE IS NO SPOONの記事として紹介していたもので、以下の記事では、内村鑑三さんのことを、元記事のまま尊敬の念をこめて「内村鑑三先生」と呼ばせていただきます)。

   

The mass of men worry themselves into nameless graves while here and there a great unselfish soul forgets himself into immortality.
大多数の人々が己の体面ばかり気にしているうちに名もなき墓に葬られていく一方で、時折、利己心を持たない偉大な魂は我を忘れることで不朽の名声を手にする。

Ralph Waldo Emerson
ラルフ・ウォルドー・エマソン

We make a living by what we get, but we make a life by what we give.
私たちは自分が得るものによって生計を立てる。しかし、私たちは自分が与えるものによって人生を築くことになる。

Winston Churchill
ウィンストン・チャーチル

This is the true joy in life, being used for a purpose recognized by yourself as a mighty one.
それを天命として果たすことがすばらしいものだと自分の心の奥底で魂が認めた目的のために自らの人生を捧げること、これこそ人生の真の喜びである。

Being a force of nature instead of a feverish, selfish little clod of ailments and grievances, complaining that the world will not devote itself to making you happy.
それは、世界が自分を幸せにする役目を果たしてくれないと熱に浮かされたように文句を言ってばかりいる、不平不満にまみれた利己的で卑小な愚か者にはならずに、自然の力とひとつになることだ。

I am of the opinion that my life belongs to the whole community and as long as I live, it is my privilege to do for it what I can.
私は、自分の人生つまり私の生命はコミュニティ全体に属していると思っているので、自分が生きている限り、コミュニティのために自分にできるかぎりの力を尽くして貢献することは私にとって光栄な誉れであると考えている。

I want to be thoroughly used up when I die, for the harder I work, the more I live.
私は自分が死ぬときには、自分のすべてを使い果たしていたい。なぜなら、私が懸命に働くほど、よりいっそう私は生きていることになるのだから。

I rejoice in life for its own sake.
私は人生を生きること、それ自体にこの上ない喜びを感じているのだ。

Life is no brief candle to me.
私にとって、人生は短い蝋燭(ろうそく)ではない。

It is a sort of splendid torch which I have got a hold of for the moment, and I want to make it burn as brightly as possible before handing it on to future generations.
私にとっての人生とは、差し当たり自分に渡された期間だけ握っていられる輝かしい松明(たいまつ)なのだ。だから、私は、この松明をできるかぎり明るく燃やして後世に渡したいのだ。

George Bernard Shaw
ジョージ・バーナード・ショー

The mind is not a vessel to be filled but a fire to be kindled.
心とは満たすべき器ではなく、燃え上がらせるべき炎なのだ。

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Plutarch
プルタルコス

The greatest legacy one can pass on to one’s children and grandchildren is not money or other material things accumulated in one’s life, but rather a legacy of character and faith.
人が自分の子どもや孫に渡すことができる最大の遺産は、彼が人生で蓄えたお金やそのほかの物品ではなく、むしろ高潔な人格と信仰心を示して伝えることなのだ。

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Billy Graham
ビリー・グラハム(現代アメリカの最も著名なキリスト教(南部バプテスト連盟)の福音伝道師、牧師、神学校教師、福音派キリスト者。アメリカの伝道師と呼ばれる。1950年に「ビリー・グラハム伝道協会」を設立した。20世紀中ごろのリバイバル運動(信仰復興運動)聖霊運動の主力となった一人である)

No legacy is so rich as honesty.
実直な生き様ほど豊かな遺産はほかにない。

William Shakespeare
ウィリアム・シェイクスピア

Never think of study as work but as an enviable chance to learn to know the freeing influence of beauty in the spiritual realm for your own joy and to the profit of the community to which your later works belong.
勉強することを、義務労働のように思ってはいけません。それは、精神領域の美には人を解放する力があることを自らの喜びとして知り、あなたが将来の仕事を通じて社会の利益に貢献することを学ぶための、羨むべき機会なのです。

Albert Einstein
アルベルト・アインシュタイン

財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。されど財無くんば事業保ち難く、事業無くんば人育ち難し。

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後藤新平(日本の医師、官僚・政治家 1857年7月24日 〜 1929年)

Legacy is not leaving something for people.
遺産とは、何かを人々のために遺すことではない。

It’s leaving something in people.
それは、何かを人々の心の中に遺すことなのだ。

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Peter Strople
ピーター・ストロプル

Your story is the greatest legacy that you will leave to your friends.
あなたの人生という物語は、あなたの友たちのためにあなたが遺すことができる最も偉大な遺産である。

It’s the longest-lasting legacy you will leave to your heirs.
それこそ、あなたが自らの相続人たちに遺せる最も長持ちする遺産なのだ。

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Steve Saint
スティーブ・セイント

Live your life as a good example, and others will follow.
あなたの人生をよき模範となるように生きなさい。そうすれば、他の者たちはそれに倣うであろう。

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Anonymous
作者不詳

Our souls are not hungry for fame, comfort, wealth, or power.
私たちの魂は、名声や安楽であるとか、富や権力に飢えているわけではありません。

Those rewards create almost as many problems as they solve.
これらの報酬は、それらが解決するのと同じくらい多くの問題を引き起こすだけです。

Our souls are hungry for meaning, for the sense that we have figured out how to live so that our lives matter so the world will be at least be a little bit different for our having passed through it.
私たちの魂は意味に飢えているのです。魂は、自分がどう生きれば、自分の人生が有意義なものになるのかを突き止め、私たちが人生を生きてきたことによってせめて世界が少しでも違ったものになるはずだという感覚を渇望しているのです。

Rabbi Harold Kushner
ハロルド・サミュエル・クシュナー

People say that what we’re all seeking is a meaning for life.
人々は、私たちはみな、人生の意味を探し求めているのだと言います。

I don’t think that’s what we’re really seeking.
けれど、私たちの真に求めているものが人生の意味なのだとは、私は思っていません。

I think that what we’re seeking is an experience of being alive, so that our life experiences on the purely physical plane will have resonances with our own innermost being and reality, so that we actually feel the rapture of being alive.
私が思うに、私たちが探し求めているのは、生きているという実感なのであり、だからこそ、純粋に物質的な次元で私たちが自らの最も内奥に在る本質と共鳴するような人生の体験をすることで、私たちは自分は生きているという歓喜を実際に感じるのです。

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Joseph Campbell, The Power of Myth
ジョーゼフ・キャンベル(「神話の力」より)

生きる意味を問う

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを一八十度方向転換することだ。

わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているのかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。

哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。

考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。

生きるとはつまり、生きることの問いに正しく応える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

Viktor E. Frankl, Man’s Search for Meaning
ヴィクトール・フランクル(「夜と霧」129ページ 文意を詳しく考えてみたいという方は、(森岡正博さん「フランクル『夜と霧』における人生の意味のコペルニクス的転回について」)がおすすめ)

死の収容所を生き延びたあとにヴィクトール・フランクルが心血を注いだこと、彼の人生において最高の仕事と貢献は、人生の意味を見出すことの重要性を理解することだった。

生き延びる方法だけでなく、「なぜ」生きるのかを見つけられれば、一人ひとりの人生に唯一無二の目的があると信じられるようになることを発見したのである。

フランクル博士は、この「なぜ」を人が自分の中に見出す手助けをすることに貢献した。

Stephen R. Covey
スティーブン・R.コヴィー、シンシア・コヴィー・ハラー(「7つの習慣という人生 クレッシェンド 本当の挑戦はこの先にある」246ページ)

Life has no meaning.
人生に意味などない。

Each of us has meaning and we bring it to life.
私たち一人ひとりのほうが意味を持っているのであり、私たちはその意味を人生にもたらす側なのだ。

It is a waste to be asking the question when you are the answer.
あなた自身が答えだというのに、質問を投げかけているのは無駄なことだ。

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Joseph Campbell, The Power of Myth
ジョーゼフ・キャンベル

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内村鑑三(うちむら かんぞう 1861年3月23日〈万延2年2月13日〉 – 1930年〈昭和5年〉3月28日)

内村鑑三先生の「後世への最大遺物」は、読者に自分の人生をどう生きるかというテーマについて、大きな示唆を与えてくれる本です。

ご自身が「改版に附する序」で述べられているとおり、この本は、内村先生が私たち後世の人間に残してくださった彼の偉大な「後世への最大遺物」のひとつです。

明治時代の本とはいえ、聴衆に向けて語った言葉を文字に起こした講演録であり、筆記で論述された文章に比べたら、まったく固くはなく、ずっと読みやすいものではありますが、さすがに130年も前のものなので、書籍の体裁では正直言って読みにくいと感じる方も少なくないはずです。

佐藤優さんの「人生、何を成したかよりどう生きるか」が、原文の意を損なうことなくたいへんこなれた文章でうまく現代語訳されていて、とても読みやすく、解説もすばらしいのでぜひ読んでいただければと思います(キンドル版はアンリミテッドで読めます!)。

さと

佐藤優(さとうまさる)

人生

また、朗読音声であれば、少しばかり語調が古めかしくても、文字で読むよりも頭に入って来やすいので、オーディブルでは出ていませんが、オーディオブック.JPでは出ていますので、ぜひ聴いてみてください!

以下では、元の講演の空気感をそのまま味わっていただく趣旨で、青空文庫さんから複製させていただいたデータをもとに、ほんの少しだけ手を加えて、昔言葉を現代語ふうに表現を変え、改行がなく文字がびっちり詰まっているところを段落分けして、小見出しを付して、という具合で、ほぼ原文のまま、文字でも読みやすくなるように体裁を整えたヴァージョンを掲載しておきます。

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このようなすばらしい遺物をわれわれに遺してくださった内村先生に尊敬と感謝を捧げます。

はしがき

後世への最大遺物

冒頭のあいさつ

山陽の詩 〜 「千載青史に列するを得ん」という心

「メメント」 を残したい

天文学者ハーシェルの希望と遺物

第1の遺物 ~お金~

お金を遺したいという私の希望

お金を溜める力

ジラードの孤児院

慈善家ピーボディーの話

キリスト教徒の実業家が生まれることの大切さ

お金を使う力

第2の遺物 ~事業~

お金よりもよい遺物 ~事業~

土木事業

デビッド・リビングストン

クロムウェルの遺物は英国や米国という国である

第3の遺物 ~思想~

著述と教育

山陽が「日本外史」にこめた志

ジョン・ロックはその思想によって今日のヨーロッパを支配する人となった

文学とは戦いの道具なり

心のままを表白することが文学となる

誰もがみな文学者になるということは、社会にとって望ましいことではない

第4の遺物 ~最大遺物である「勇ましい高尚なる生涯」~

その人が生み出した産物にましてその人自身の人生こそより大きな遺物である

カーライルの生き様

何より欠乏しているのは、お金や事業や学問の原動力となる勇気、元気 〜 われわれは、後世の人たちに、あの人にできたなら自分にもできるという勇気の元となる自分の生き様を残すことができる

二宮金次郎は事業ではなくその人生をもって日本国民に偉大な遺物を残した

終わりのあいさつ

他の人の嫌がることをなし、他の人の嫌がるところに行くという精神

邪魔、反対、障害があるからこそ、面白い

いくばくかの遺物を蓄えての再会を期して

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後世への最大遺物

内村鑑三

はしがき

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この小冊子は、明治27年7月相州箱根駅において開設されたキリスト教徒第6夏期学校で述べた私の講話を、同校委員諸子の承諾を得て印刷したものである。

キリスト教と学生とに関することが多いけれど、それでも、多少、一般の人生問題を論究しているがゆえに、私の親友である京都便利堂主人が、ぜひともこれを発刊すべきだということで刊行したものである。読者の寛容さに期待したい。

明治30年6月20日
東京青山において
内村鑑三

再版に附する序言

一篇のキリスト教的演説、別にこれを一書となす必要までないと思っていたが、前発行者の勧告により、印刷に附して世に公にしたところ、すでに数千部を出版するに至り、ここにおいて私はこの書籍が多少は人の世の同義と人心を育む一助となることもあると信じ、今回また多くの訂正を加えて、再版に附することとした。もしこの小冊子がさらに新福音を宣伝する機会となるなら、私は誠に幸福なことである。

明治32年10月30日
東京角筈村において
内村鑑三

改版に附する序

この講演は明治27年、すなわち日清戦争のあった年、すなわち今より31年前、私がまだ33歳の壮年であったときに、海老名弾正君の司会のもとに、箱根山上、蘆の湖の畔においてなしたものです。

その年に、私の娘のルツ子が生まれ、私は彼女を彼女の母とともに京都の寓居に残して箱根に来て講演したのです。その娘はすでに世を去り、またこの講演を一書となして初めて世に出した私の親友京都便利堂の主人、中村弥左衛門君もついこのごろ世を去りました。

その他、この書がなって以来の世の変化は非常です。多くの人がこの書を読んで志を立てて成功したと聞きます。

その内に私と同じようにキリスト信者になった者も少なくないとのことです。そして、彼らの内のある者は早くすでに立派にキリスト教を「卒業」して、今は背教者をもって自ら任ずる者もあります。または、この書によって信者となって、キリスト教的文士となって、その攻撃のを著者である私に向ける人もいます。実に世はさまざまです。

そして、私は幸いにして、今日まで生きながらえて、この書に書いてあることに多く違わずして私の生涯を送ってきたことを神に感謝します。

この小著そのものが私の「後世への最大遺物」の一つとなったことを感謝します。「天地無始終、人生有生死」です。

しかし、生死ある人生に無死の生命を得るの途が供えてあります。天地は失せても失せざるものがあります。そのものをいくぶんなりと握るを得て人生は真の成功であり、また大なる満足です。

私は今よりさらに30年生きようとは思いません。しかし、過去30年間生き残ったこの書は、今よりなお30年、あるいは、それ以上に生き残るであろうとみてもよろしかろうと思います。

終りに臨んで、私はこの小著述を、その最初の出版者である故中村弥左衛門君に献じます。君の霊の天にありて安からんことを祈ります。

大正14年(1925年)2月24日
東京市外柏木において
内村鑑三

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(夏期演説) 

後世への最大遺物

第1回

冒頭のあいさつ

時は夏ですし、所は山の絶頂です。それで、ここで私が手を振り足を飛ばして、私の血に熱度を加えて、みなさんの熱血をここに注ぎ出すことは、あるいは、私にできないことではないかもしれません。

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しかし、これは私の好まぬところであるし、また、みなさんもあまり要求しないところだろうと私は考えます。そこで、キリスト教の演説会で、演説者が腰を掛けて話をするのはたぶん、この講師が嚆矢(こうし)であるかもしれない(満場大笑)。

しかしながら、そうすることが私の目的に適(かな)うことですので、私は先例を破って、ここであなたがたとゆっくり腰を掛けてお話をしてもかまわないと思います。これもまた、破壊党の所業だと思し召されてもよろしゅうございます(拍手喝采)。

そこで私は、「後世への最大遺物」という題を掲げておきました。もしこのことについて、私の今まで考えましたことと今感じますこととをみな述べますなら、いつもの一時間より長くなるかもしれません。

もし長くなってつまらなくなったら、ご自由にお帰りなさってください。私もまた、くたびれましたなら、あるいは、途中でお休みをお願いするかもしれません。

もしあまり長くなりましたら、明朝の1時間も私のいただいた時間ですから、そのときに述べるかもしれません。どうぞ、こういう清い静かなところにおりますときには、東京やその他の騒がしいところで、みな気の立っているところでするような騒がしい演説を、私はしたくありません。私は、ここでみなさんと膝を打ち合せて、私の所感そのままを演説し、またみなさんの質問にも応じたいと思います。


山陽の詩 〜 「千歳青史に列するを得ん」という心

この夏期学校に来ますついでに、私は東京に立ち寄り、そのとき、私の親爺と詩の話をいたしました。

親爺が山陽の古い詩を出してくれました。私が初めて山陽の詩を読みましたのは、親爺からもらったこの本でした(本を手に持って)。で、この夏期学校にくるついでに、その山陽の本を再び持ってきました。

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頼 山陽(らい さんよう)

そのなかに、私のちいさいときに私の心を励ました詩がございます。その詩は、みなさんもご承知のとおり、山陽の詩の一番初めに載っている詩です。

十有三春秋、逝者已如水、天地無始終、人生有生死、安得類古人、千載列青史」(「じゅうゆうさんしゅんじゅう ゆくものはすでにみずのごとし てんちししゅうなく じんせいせいしあり いずくんぞこじんにるいして せんざいせいしにれつするをえん」「私ももう十三歳になった。聖人孔子さまのおっしゃったとおり、年月は川の流れのように、どんどん過ぎ去ってしまう。この天地自然には、始まりも無ければ終わりもないけれど、人間の一生には限りがある。この短い一生の中で、どうしたら昔のすぐれた人々の仲間入りをして、長く立派な歴史の中に残ることができるだとうか。どうかそうなりたいものだ。」)。

有名な詩です。山陽が十三のときに作った詩です。

それで、自分の人生を顧みてみますと、まだ外国語学校に通学しております時分にこの詩を読みまして、私も自ずから同感に堪えなかった。私のように、こんなに弱いもので、子供のときから身体が弱うございましたが、こういうような弱い身体であって、別に社会に立つ位置もなし、また私を社会に引っ張ってくれる電信線もございませんけれど、どうか私も一人の歴史的な人間になって、そうして千載青史に列するを得るくらいの人間になりたいという心がやはり私にも湧いてきたのです。

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その欲望は、決して悪い欲望とは思っていません。私がそのことを父に話し、友達に話したときに、彼らはたいへん喜びました。「汝にそれほどの希望があったなら、汝の人生はまことに頼もしい」といって喜んでくれました。

ところが、不意にキリスト教に接し、通常、この国において説かれましたキリスト教の教えを受けたときには、青年のときに持ったところの「千載青史に列するを得ん」という、この欲望がだいぶなくなってきました。

それで、何となく厭世的な考えが湧いてきました。すなわち、人間が「千載青史に列するを得ん」というのは、まことにこれは肉欲的、不信者的、heathen的な(異教的な、不信心な)考えである、クリスチャンなどは、功名を欲するようなことはすべきではない、私たちは、後世に名を伝えるとかいうことは、根こそぎ取り去ってしまわなければならぬ、というような考えが出てきました。

それゆえに、私の人生は、実にそれ以前の人生よりも清い人生になったかもしれません。けれども、それ以前よりも、つまらない人生になりました。まあ、どうかなるだけ罪を犯さないように、なるだけ神に逆らって汚らわしいことをしないように、ただただ立派にこの人生を終って、キリストによって天国に救われて、未来永遠の喜びを得んと欲する考えが起ってきました。

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そこでそのときの心持ちは、なるほど、そのなかに一種の喜びがなかったわけではございませんが、以前の心持ちとは正反対の心持ちでした。そうして、この世の中に事業をしよう、この世の中に一つ旗を挙げよう、この世の中に立って男らしい人生を送ろう、という念がなくなってしまいました。ほとんどなくなってしまいましたから、私はいわゆる坊主臭い因循な考えになってきました。

それでまた、私ばかりではなく、私を教えてくれる人がそうでした。たびたび……ここには宣教師はおりませんので、少しは宣教師の悪口を言っても許してくださるかと思いますが……宣教師のところに行って、私の希望を話しますと、「あなたはそんな希望を持ってはいけません。そのようなことは欲心です。それは、あなたのまだキリスト教に感化されないところの心から起ってくるのです」というようなことを聞かされることが少なくありませんでした。私は、みなさんたちもそういうような考えに、どこかで出会ったことがあるだろうと思います。

なるほど「千載青史に列するを得ん」ということは、考えようによっては、まことに下等な考えであるかもしれません。私たちが、自分の名をこの世の中に遺したいというのです。この一代のわずかな人生を終って、そのあとは、後世の人に私たちの名を褒め称えてもらいたいという考え、それはなるほど、ある意味から言えば、私どもにとっては、持ってはならない考えであると思います。

ちょうど、エジプトの昔の王様が己の名が万世に伝わるようにと思ってピラミッドを作った。すなわち、世の中の人に彼は国の王であったということを知らしめるために、万民の労力を使役して大きなピラミッドを作ったというようなことは、実にキリスト信者としては持つべきではない考えだと思います。

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有名な天下の糸平が死ぬときの遺言は、「己のために絶大の墓を立てろ」ということであったそうです。そうして、その墓には、天下の糸平と誰か日本の有名な人に書いてもらえ、と遺言した。それで、みなさんが東京の牛の御前に行ってみられれば、立派な花崗石で伊藤博文さんが書いた「天下之糸平」という碑が建っています。それは、その千載にまで、天下の糸平をこの世の中に伝えよと言った糸平の考えは、私はクリスチャン的な考えではなかろうと思います。

また、そういう例がほかにもたくさんある。このあいだ、アメリカのある新聞で見ましたが、ある貴婦人で大金持の寡婦が、「私は自分が死んだ後にどうか私の名を国の人々に覚えておいてもらいたい。

しかし、自分の持っているお金を学校に寄附するとか、あるいは、病院に寄附するとかいうことは普通の人のやることなので、私は世界中にないような大きな墓を作ってみたい。そうして、後の世まで記憶されたい」という希望を持ちました。先日、その墓ができたそうです。どんなに立派な墓であるかは知りませんが、その墓を作るのにかかった勘定に驚きました。200万ドルもかかったというのです。200万ドルものお金をかけて自分の墓を建てたというのは、たしかに、キリスト教的な考えではありません。

「メメント」を残したい

しかしながら、ある意味では、「千載青史に列するを得ん」という考えは、私はそんなに悪い考えではないし、悪くないばかりでなく、それは本当の意味で考えてみれば、キリスト教信者が持ってもよい考え、むしろ、キリスト信者が持つべき考えではないかと思うのです。

なお、私たちの人生の解釈から申しますと、この人間としての人生は、私たちが未来に進む過程にある一階段です。それはちょうど、大学に入る前の高校のようなものです。

もし私たちの人生がわずかこの50年で消えてしまうものだとしたら、私たちの人生は実につまらないものというべきです。私としては、私たちは自分の魂が未来永遠に向かう準備するためにこの世の中にやって来るのであって、私たちの流す涙も、私たちの心を喜ばせる喜びも含めた私たちの人生における喜怒哀楽の変化というものは、私たちの霊魂をだんだんと作り上げて、ついに私たちが不死なる魂となって人の世を去ってから、もっと清い生命をいつまでも生きるのだということを確信しております。

しかしながら、そのことは純粋な宗教問題でございまして、それは私が今晩あなたがたにお話をしたいことではありません。

しかしながら、私にここに一つの希望があります。

この世の中をずっと通り過ぎて安らかに天国に行き、私たちの人生という高校を卒業して天国という大学に入ってしまったら、それで十分なのかと自分の心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ湧いてくるのです。すなわち、私に50年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、この私たちを育ててくれた山、河、これらに対して、私から何も遺さないままでは死んでしまいたくはない、という希望が湧いてくる。私は死んでからただ天国に行くだけでなく、私はここに一つの何かを遺して行きたい。

それは何も、必ずしもそれによって後世の人に私を褒め称えてもらいたいというのではない。私の名誉を遺したいというのでもない。ただ私がどれほどこの地球を愛し、どれだけこの世界を愛し、どれだけ私の同胞のことを思ったかという記念物をこの世に置いて行きたいのです。すなわち、英語でいう “Memento”「メメント」 を残したいのです。こういう考えは美しい考えです。

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私がアメリカにおりましたときにも、その考えが、たびたび私の心に湧いてきました。私は、自分の卒業した米国の大学を去るときに、同志とともに、卒業式の当日に愛樹を一本校内に植えてきました。これは、私が自分を4年も育ててくれた母校に、私の愛情を遺しておきたいためでした。なかには、私の同級生で、お金のあった人は、そればかりでは満足しないで、あるいは、学校に音楽堂を寄附する人もいたし、書籍館を寄附する人もいたし、あるいは、運動場を寄附する人もいました。

そうだというのに、私たちが今から世界というこの学校を去ろうとするときに、私たちは何もここに遺さずに逝くのでしょうか。その点からいうと、やはり私には「千載青史に列するを得ん」という望みが残っているのです。

私は、何かこの地球に “Memento” 「メメント」を置いて逝きたい。私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい。私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。

それゆえに、お互いにここに生まれてきた以上は、私たちはこの世を去ったのちは喜ばしい国に行くかもしれませんが、それでも、私たちがこの世の中にあるあいだは、少しでもこの世の中を善くして行きたいものです。この世の中に、私たちの “Memento” を遺して逝きたいのです。

天文学者ハーシェルの希望と遺物

有名な天文学者のハーシェルが、20歳ばかりのときに、彼の友人に語って、「わが愛する友よ、私たちが死ぬときには、私たちが生まれたときより、世の中を多少なりともよくして往こうではないか」と言いました。

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Sir Frederick William Hersche
サー・フレデリック・ウィリアム・ハーシェル

実に美しい青年の希望ではありませんか。「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは多少なりともよくして逝こうじゃないか」と。

ハーシェルの伝記を読んでごらんなさい。彼は、この世の中を非常によくして逝った人です。今まで知られない天体をまったく描いて逝った人です。南半球の星を、何年間かアフリカの喜望峰植民地に行って、すっかり図に載せたので、今日の天文学者の知識はハーシェルによってどれだけ利益を得たかしれません。このおかげで、航海が開け、商業が開け、人類が進歩し、ついには、宣教師を外国にやることができ、キリスト教伝播の直接間接の助けにどれだけなったかしれません。

私たちも、ハーシェルと同じように、互いにみな希望 “Ambition” を遂げたくはないでしょうか。私たちが死ぬまでには、この世の中を少しでも善くして死にたくはありませんか。

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何か一つ事業を成し遂げて、できるものなら、私たちの生まれたときよりも、この日本を少しでもよくして逝きたいではありませんか。この点については、私たちの誰もがみな、同意するはずだと思います。

そこで、その次の問題は、遺物のことです。何を置いて逝こう、という問題です。何を置いて私たちがこの愛する地球を去ろうかというのです。そのことについて、私も考えてみました。考えたばかりでなく、たびたびやってみました。何か遺したい希望があってこれを遺そうと思いました。それで、後世への遺物もたくさんあるだろうと思います。それを一々お話しすることはできません。けれども、このなかに、第一番に私たちの思考に浮ぶものからお話しをしたいと思います。

第1の遺物 〜お金〜

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お金を残したいという私の希望

後世へ私たちの遺すもののなかに、まず第一番に大切のものがあります。それが何かというとお金です。私たちが死ぬときに、遺産としてお金を社会に遺して逝く、己の子供に遺して逝くばかりでなく、社会に遺して逝くということです、

それは、多くの人の考えにあるところではないかと思います。それで、そういうことをキリスト信者の前で言いますと、お金を遺すなどということは、実につまらないことではないかという反対がすぐに出てくるだろうと思います。

私は、明治16年に、初めて札幌から山男になって東京に出てきました。その時分に東京には、奇体な現象があって、それを名づけてリバイバルと言ったのです。

その時分、私は後世に何を遺そうと思っていたかというと、私は実業教育を受けたものですから、もちろん、お金を遺したいと思っていました。億万の富を日本に遺して、日本を救ってやりたいという考えを持っていました。明治27年になったら、自分が夏期学校の講師に選ばれるという考えは、その時分にはちっともなかったのです(満場大笑)。

お金を遺したい、金満家になりたい、という希望を私は持っていたのです。

ところが、このことをあるリバイバルに非常に熱心な牧師の先生に話したところ、私は、その牧師さんに非常に叱られました。「お金を遺したいなどという意気地のないことを言っていないで、そんなものはどうにでもなるから、君は福音のために働きたまえ」と言って戒められました。

しかし、私は、その決心を変更しませんでしたし、今でも変更していません。

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お金を遺すものを賤しめるような人は、やはり、お金のことに賤しい人だといえます、ケチな人です。お金というものは、ここでお金の価値について長い講釈をする気はありませんが、しかし、お金というものの必要性は、あなたがたも十分に認めていらっしゃるだろうと思います。

Benjamin Franklin
ベンジャミン・フランクリン

お金は宇宙のものであるから、お金というものは、いつでもできるものだという人に向って、フランクリンは答えて「そんなら、今こしらえてみたまえ」と言いました。それで、私にお金などは要らないと言った牧師先生はどういう人だったかというと、後で聞いてみると、やはりずいぶんお金を欲しがっている人だそうです。

お金を貯める力

それで、お金というものは、いつでも得られるものであるということは、私たちが始終持っている考えですけれども、実際にお金の要るときになってからお金を得るのは非常に難しいものです。

そうして、あるときは、富というものは、どこでも得られるように、空中にでも浮かんでいるもののように思いますけれど、その富を一つに集めることのできるものは、これは非常に神の助けを受ける人でなければできないことなのです。

ちょうど、秋になってが空を飛んでいます。雁は誰が捕ってもかまいません。

しかし、雁を捕ることは難しいことです。人間の手に雁が十羽なり二十羽なり集まっているなら、それには価値があります。すなわち、手の内の一羽の雀は、木の上にいる二羽の雀より貴い、というのはこのことです。

そこで、お金というものは、宇宙に浮いているようなものではありますけれど、しかし、それを一つにまとめて、そうすることで、後世の人がこれを用いることができるように溜めていこうとする欲望がみなさんのうちにあるなら、私は心の底から、イエス・キリストの御名によって、父なる神の御名によって、聖霊の御名によって、教会のために、国のために、世界のために、「君よ、お金を溜めたまえ」と言って、そうすることをその人に勧めたいものです。

富というものを一つにまとめるということは、一大事業です。

それで、私たちの今日の実際問題は、社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年問題であろうと、教育問題であろうとも、それを煎じ詰めてみれば、やはり、金銭問題に行きつきます。ここに至って、いったい誰がお金は不要だなどと言えるでしょうか。

どうかキリスト信者のなかに、お金持ちが生まれてもらいたいものです。実業家が生まれてもらいたいものです。私たちが働くときに、私たちの後楯になって、私たちの心を十分にわかった人が経済的に私たちを支援してくれるということは、私たちにとって目下の課題といえましょう。

それゆえに、お金を後世に遺そうという欲望を持っているところの青年のみなさんが、そのほうに向って、神の与えてくれる方法によって、私たちの子孫にたくさん金を遺してくださるようにと、私は心から祈ります。

ジラードの孤児院

アメリカの有名なるフィラデルフィアのジラードというフランスの商人が、アメリカに移住して建てた孤児院を、私は見てきました。

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Stephen Girard
スティーブン・ジラード

これは、世界で第一番の孤児院です。およそ小学生くらいの子供が700人ばかりおります。中学、大学くらいまでの孤児までみんな入れますと、たぶん1000人以上の子供たちがいるように思われました。

その孤児院の組織を見ますと、私たちの日本に今日ある孤児院のように、寄附金が足らないために事業がさしつかえるような類(たぐい)の孤児院ではなくて、ジラードが生涯かけて溜めた金をことごとく投じて建てたものです。ジラードの人生を書いたものを読んでみますと、なんでもない、ただその一つの目的をもってお金を溜めたのです。

彼には子供はなかった。奥さんも早く死んでしまった。「妻はおらず、子供もいない。私には何にも目的はない。けれど、どうか世界第一の孤児院を建ててやりたい」と言って、一生懸命に働いてこしらえたお金で建てた孤児院なのです。

その時分はアメリカ開国の早い時期でしたから、お金の溜め方が今のように早くはいきませんでした。

しかし、一生涯かかって彼が溜めたお金は、おおよそ200万ドルばかりでありました。それをもってペンシルバニア州に人の気の乏しい地面をたくさん買い占めた。

それで、死ぬときに、「この金をもって二つの孤児院を建てよ。一つはおれを育ててくれたところのニューオリーンズに建て、一つはおれの住んだところのフィラデルフィアに建てよ」と申しつけました。

それで、妙な癖があった人とみえまして、教会というものをたいそう嫌ったのです。それで「おれは別に、この金を使うことに条件はつけないけれど、おれの建てた孤児院のなかに、キリスト教のいかなる宗派の教師も誰も入れてはならぬ」という奇体な条件をつけて死んでしまいました。

それゆえに、今でもメソジストの教師でも、監督教会の教師でも、組合教会の教師でも、この孤児院には入ることはお気の毒ですけれどもできません(大笑)。

そのほかは、誰でもそこに入ることができます。それで、この孤児院の組織のことは長くなりますので、今ここでお話しはませんが、前に述べた200万ドルをもって買い集めました山ですが、それは、今日のペンシルバニア州における石炭と鉄とを出す山でした。実に今日の富はほとんど何千万ドルかわからない。今はどれだけ事業を拡張してもよい、ただただ拡張する人がいないだけです。

それでもし、みなさんのうち、フィラデルフィアに行く方がいらっしゃったら、一番にまずこの孤児院に行ってみられることをお勧めします。

慈善家ピーボディーの話

また、有名な慈善家ピーボディーはいかにして彼の大業を成したかと申しますと、彼が初めてベルモントの山から出るときには、ボストンに出て大金持ちになろうという希望を持っていました。彼は、一文なしで故郷を出てきました。

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George Foster Peabody
ジョージ・フォスター・ピーボディ

それで、ボストンまでは、その時分はもちろん汽車はありませんし、また馬車があっても、ただでは乗れませんから、ある旅籠屋(はたごや)の亭主に向って、「私はボストンまで行かなければならないのだが、日が暮れて困るので、今夜泊めてくれないものか」と言ったら、旅籠屋の亭主が、可愛想だから泊めてやろう、と言って喜んで引き受けてくれました。

けれども、そのときにピーボディーは、旅籠屋の亭主に向かって「ただで泊まるのは嫌なので、何かさせてもらえるのなら、泊まらせてもらいたい」と言いました。

ところが、旅籠屋の亭主は「泊まるなら自由に泊まりなさい」と言いました。

しかし、ピーボディーは、「それでは気が済まない」と言って、家を見渡したところ、裏に薪がたくさん積んでありました。そこで、「ご厄介になるかわりに、裏の薪を割らさせてください」と言って、旅籠屋の亭主の承諾を得て、昼過ぎに取りかかって夜まで薪を挽いて、これを割り、たいていこのくらいで旅籠賃に足りると思うくらいまで働き、働きを終えた後に泊まったということです。

そのピーボディーは、彼の一生涯を何に費やしたかというと、何百万ドルだったかは知りませんけれども、お金を溜めて、ことに黒人の教育のために使いました。

今日、アメリカにおります黒人が、たぶん日本人と同じくらいの教育水準に達しておりますのは何ゆえであるかというに、それはピーボディーのような慈善家のお金の結果であるといわなければなりません。

私は、アメリカ人はたいへんお金に弱い、アメリカ人はお金によってだいぶ支配されている国民であるということも知っております。けれども、アメリカ人のなかに金持ちがいて、彼らが清き目的をもって金を溜めそれを清きことのために用うるということは、アメリカの今日の盛大をもたらした大きな要因であるということだけは、私も理解して帰ってきました。

それでもし、私たちのなかにも、実業に従事するときに、こういう目的をもってお金を溜める人が出てきませんことには、本当の実業家は私たちのなかに生まれません。

そういう目的をもった実業家が生まれないなら、実業家がいくら出てきても、国の益になりません。ただただわずかに憲法発布式のときに貧乏人に1万円……一人に50銭か60銭くらいの頭割をなしたというような、そんな慈善はしないほうがかえってよいくらいです。

三菱のような何千万円というように金を溜めまして、今日まで……これから三菱は善い事業をしてくれるのではないかと信じておりますけれども……今日まで何をしたか。彼自身が大いに勢力を得、立派な家を建て立派な別荘を建てましたけれども、日本の社会は、それによって何を利益したかというと、何一つとして見るべきものはないです。

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キリスト教徒の実業家が生まれることの大切さ

それで、キリスト教信者が立ちまして、キリスト信徒の実業家が起りまして、金を儲けることは、己のために儲けるのではない、神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則にしたがって、富を国家のために使うのであるという実業の精神が私たちのなかに生まれることを私は願っています。

そういう実業家が今日わが国に生まれることは、神学生徒の生まれることよりも私の望むところです。

今日は、神学生徒がキリスト信者のなかに十人あるかと思うと、実業家は一人もいません。百人あるかと思うと実業家は一人もない。あるいは、千人あるかと思うと、一人いるかいないかというくらいです。

金をもって神と国とに事つかえようという清き考えを持つ青年がいない。

よく話に聴きますかの紀伊國屋文左衛門が百万両溜めて百万両使ってみようなどという賤(いや)しい考えを持たないで、百万両溜めて百万両神のために使ってみようというような実業家になりたい、という心意気の実業家が出て欲しいものです。その百万両を国のために、社会のために遺して逝こうという希望は実に清い希望だと思います。

今日、私が自身に持ちたい望みです。もし自身にできるならしたいことですが、残念なことに、その方面の伎倆は私にはありませんから、もしみなさんのなかにその希望がありますなら、どうぞ今の教育事業とかに従事する人たちは、「汝の事業は下等の事業なり」などと言って、その人を失望させぬように注意してもらいたいものです。

また、そういう希望を持った人は、神が自らに命じたところの考えであると思って、十分にそのことを自ら奨励されるようにと望みます。

あるアメリカの金持ちが「私は汝にこのお金を譲り渡すが、このなかに汚い銭は一文もない」と言って子供に遺産を渡したそうですが、私どもは、そういうお金が欲しいのです。

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お金を使う力

それで、後世への最大遺物のなかで、まず第一に大切のものは何であるかというに、私はそれはお金であると言って、そのお金の必要を述べました。

しかしながら、誰もがみな、金を溜める力を持っているわけではありません。私は、これはやはり一つの Genius(天才)ではないかと思っています。

私は残念ながらこの天才を持ってはいません。ある人が言うところでは、金を溜める天才を持っている人の耳はたいそう膨れて下の方に垂れているそうですが、私は鏡に向って見ましたが、私の耳はたいそう縮んでおりますから、その天才は私にはないとみえます(大笑)。

私の今まで教えました生徒のなかに、非常にこの天才を持っている人がいます。ある人は、北海道に一文無しで追い払われたのですが、今では、私に十倍もする富を持っています。「今におれが貧乏になったら、君はおれを助けてくれ」と言っておきました。

実に金儲けは、やはりほかの職業と同じように、ある人たちの天職です。誰にでも、お金を儲けることができるかということについては、私は疑問を持っております。

それで、金儲けのことについては少しも考えを与えてはならぬところの人が金を儲けようとしますと、その人は、非常に穢なく見えるものです。そればかりではありません。お金は、後世への大きな遺物の一つですけれども、遺しようが悪いと、ずいぶん害をなします。それゆえに、お金を溜める力を持った人ばかりでなく、お金を使う力を持った人が出てこなければなりません。

かの有名なグールドは、生きているあいだに2000万ドルを溜めました。そのために、彼の親友4人までを自殺せしめ、あちらの会社を引き倒しては、こちらの会社を引き倒して2000万ドルを溜めました。ある人の言うには、「グールドは1000ドルのまとまった金すら慈善のために出したことはない」ということです。

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Jason “Jay” Gould
ジェイソン・”ジェイ”・グールド

彼は、死ぬときにそのお金をどうしたかというと、ただ自分の子供にそれを分け与えて死んだだけです。すなわち、グールドはお金を溜めることは知っていたが、お金を使うことは知らぬ人でした。

それゆえに、お金を遺物としようと思う人には、お金を溜める力と、また、そのお金を使う力とがなくてはならない。この二つの考えのない人、この二つの考えについて十分に決心しない人が、お金を溜めるということは、はなはだ危険なことだと思います。

第2の遺物 〜事業〜

さて、私のようにお金を溜めることの下手な者、あるいは、溜めてもそれが使えない人は、後世の遺物に何を遺そうか、私はとうてい金持ちになる望みはない、ゆえにほとんど十年前にその考えを捨ててしまった。それでもし、お金を遺すことができないなら、何を遺そうかという実際問題が出てきます。

そこで、私がお金よりもよい遺物は何であるかと考えてみますと、それは事業です。

お金よりもよい遺物 〜事業〜

事業とは、すなわち、お金を使うことです。お金は労力を代表するものですから、労力を使ってこれを事業に変じ、事業を遺して逝くことができる。お金を得る力のない人で事業家はたくさんいます。

金持ちと事業家は、二つ別物のように見えます。商売する人とお金を溜める人とは人物が違うように見えます。大阪にいる人は、たいそうお金を使うことが上手ですが、京都にいる人は、お金を溜めることが上手です。

東京の商人に聞いてみると、お金を持っている人には商売はできない、お金のないものが人のお金を使って事業をするのであると言います。

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コーネリアス・ヴァンダービルト

純粋の事業家の成功を考えてみますに、決してお金ではない。グールドは、決して事業家ではない。バンダービルトは、決して事業家ではない。バンダービルトは、非常にお金を作ることが上手でした。そして、彼は、他の人の事業を助けただけです。

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Amasa Leland Stanford
アマサ・リーランド・スタンフォード

有名なカルフォルニアのスタンフォードは、たいへんお金を儲けることが上手でした。しかし、そのスタンフォードには、三人の友人がいました。その友人のことは面白い話ですが、時間がないのでお話はしませんけれど、金を儲けた人と、金を使う人と、数々あります。

土木事業

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それですから、お金を溜めてお金を遺すことができないなら、あるいは神が私に事業をなす天才を与えてくださったかもしれません。もしそうなら、私はお金を遺すことができなくても、事業を遺せばじゅうぶん満足します。

それで、事業をなすということは、美しいことであるのはもちろんです。どういう事業が一番誰にもわかるかというと、土木的な事業です。私は土木学者ではありませんけれども、土木事業を見ることが非常に好きです。

一つの土木事業を遺すことは、実に私たちにとっても快楽であるし、また永遠の喜びと富とを後世に遺すことではないかと思います。

今日も、船に乗って、湖水の向こうまで行きました。その南のほうに水門があります。その水門というのは、山の裾をくぐっている一つの隧道(ずいどう)です。その隧道を通って、この湖水の水が沼津のほうに落ちまして、二千石乃至ないし三千石の田地を灌漑(かんがい)しているということを聞きました。

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昨日、ある友人に会って、あの穴を掘った人の話を聞きました。その話を聞いたときに、私は実に嬉しかった。あの穴を掘った人は今からちょうどう600年も前の人であったろうということですが、誰が掘ったかわからない。ただこれだけの伝説が遺っているのです。

すなわち、箱根のある近所に百姓の兄弟があって、まことに沈着であって、その兄弟が互いに相語って言うには、「私たちはこの有難き国に生まれてきて、何か後世に遺して逝かなければならぬ。それゆえに、何か私たちにできることをやろうではないか」と。

しかし、兄のほうは言いました。「私たちは貧乏人で、貧乏人には何も大事業を遺して逝くことはできない」と言うと、弟が兄に向って言うには、「この山をくり抜いて湖水の水をとって、水田を興してやったなら、それが後世への大なる遺物ではないか」と言いました。

兄は「それは非常に面白いことだ。それでは、お前は上のほうから掘れ。おれは下のほうから掘ろう。一生涯かかっても、この穴を掘ろうじゃないか」と言って掘り始めた。それで、どういうふうにしてやりましたかというと、そのころは、測量器械もありませんから、山の上に標を立てて、両方から掘っていったとみえます。

それから、兄弟が生涯かかって何もせずに……たぶん自分の職業になるだけの仕事はしたでございましょう……兄弟して両方からして、毎年毎年掘っていった。何十年ですか、その年は忘れましたけれども、下のほうから掘ってきたものは、湖水のほうから掘っていった者の四尺上に出たそうです。

四尺上に行きましたけれども、ご承知の通り、水位が高いので、やはり竜吐水のように向こうのほうによく落ちるのです。生涯かかって人が見ておらないときに、後世に事業を遺そうというところの奇特な心により、二人の兄弟はこの大事業をなしました。

人が見てもくれない、褒めてもくれないのに、人生を費やしてこの穴を掘ったのは、それは今日に至っても私たちを励ます所業ではありませんか。

それから、今の五ヵ村が何千石だか、どれだけ人口があるか忘れましたが、五ヵ村が頼朝時代から今日にいたるまで年々米を取ってきました。ことに湖水の流れるところですから、旱魃ということを感じたことはございません。

実にその兄弟は幸せな人間であったと思います。

もし私が何にもできないなら、私は、その兄弟に真似たいと思います。これは非常な遺物です。たぶん今行ってみましたなら、その穴は長さたぶん十かそこらの穴でありましょうが、そのころは煙硝もない、ダイナマイトもないときでしたから、あの穴を掘ることは、実に非常なことであったでしょう。

大阪の天保山を切ったのも、近ごろのことです。かの安治川を切った人は、実に日本にとって非常な功績をなした人であると思います。安治川があるために、大阪の木津川の流れを北のほうに取りまして、水を速くして、それがために水害の憂いを取り除いてしまったばかりでなく、深い港をこしらえて、九州、四国から来る船をことごとくあそこにつなぐようになったのです。

また秀吉の時代に切った吉野川は、昔は大阪の裏を流れておって、人民を悩ましたのを、堺と住吉の間に開鑿(かいさく)しまして、それによって、大和川の水害というものがなくなって、何十ヵ村という村が、大阪の城の後ろにできました。これまた、非常な事業です。

それから、有名な越後の阿賀川を切ったことです。実に偉い事業です。有名な新発田の十万石、今は、日本においてたぶん富の中心点であるだろうという所です。これらの大事業を考えてみるときに私の心のなかに起るところの考えは、もしお金を後世に遺すことができないなら、私は事業を遺したいという考えです。

また、土木事業ばかりでなく、その他の事業でも、もし私たちが精神をこめてするときは、私たちの事業は、ちょうど、お金に利息がつき、利息に利息が加わってきて、だんだん多くなってくるように、一つの事業がだんだん大きくなって、終いには非常なる事業となります。

デビッド・リビングストン

事業のことを考えますときに、私はいつでも、有名なデビッド・リビングストンのことを思い出します。それで、みなさんのうち英語のできるお方に、私はスコットランドの教授ブレイキーの書いた“The Personal Life of David Livingstone”という本を読んでごらんなさることを勧めます。

私一個人にとっては、聖書のほかに、私の人生に大刺激を与えた本は二つあります。一つは、カーライルの『クロムウェル伝』です。そのことについては、後でお話をいたします。それから、その次に、このブレイキー氏の書いた『デビッド・リビングストン』という本です。

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David Livingstone
デイヴィッド・リヴィングストン

それで、デビッド・リビングストンの一生涯はどういうものであったかというと、私は、彼を宗教家あるいは宣教師と見るよりは、むしろ大事業家として尊敬せざるをえません。

もし私がお金を溜めることができなかったなら、あるいはまた土木事業を起すことができないなら、私はデビッド・リビングストンのような事業をしたいと思います。

この人はスコットランドグラスゴーの機屋(はたや)の子で、若いころから公共事業に非常に関心を持っていました。「どこかに私は」……デビッド・リビングストンの考えますに……「どこかに私は一事業を起してみたい」という考えで、始めは、中国に行きたいという考えを抱いて、その望みを英国の伝道会社に訴えてみましたが、中国に派遣する需要はないといって許されなかった。

ついにアフリカに入って、37年間、己の生命をアフリカのために捧げ、始めのうちは主に伝道をしておりました。

けれども、彼は考えました。アフリカを永遠に救うには、今は伝道ではいけない。すなわち、アフリカの内地を探検して、その地理を明かにし、これに貿易を開いて勢力を与えなければならない。そうすれば、商売の結果に伴って、伝道もかならず来るに相違ない。

そこで彼は、伝道をやめまして探検家になったのです。彼は、アフリカを3度縦横に横切り、わからなかった湖水もわかり、今までわからなかった河の方向も定められ、それによって種々の大事業も生まれました。

しかしながら、リビングストンの事業はそれで終わりません。スタンレーの探検となり、ペーテルスの探検となり、チャンバーレンの探検となり、今日のいわゆるアフリカ問題のうちで、一つとしてリビングストンの事業に原因せぬものはないのです。コンゴ自由国、すなわち欧米九ヵ国が同盟しまして、プロテスタント主義の自由国をアフリカの中心に立つにいたったのも、やはりリビングストンの手によったものといわなければなりません。

クロムウェルの遺物は英国や米国という国である

今日の英国は偉い国だ、今日のアメリカの共和国は偉い国だと言いますが、それは何から始まったかとたびたび考えてみます。

それで、私は尊敬する人について、少しばかり偏りがあるかもしれませんが、もし偏しておったならそのようにご判断を願いますが、私の考えますには、今日のイギリスが偉大であるわけは、イギリスにピューリタンという党派が起ったからであると思っています。

アメリカに今日のような共和国が起ったわけは何であるか、イギリスにピューリタンという党派が起ったゆえです。

しかしながら、この世にピューリタンが大事業を遺したといい、遺しつつあるというのはどういうわけかというと、何ということはない、このなかにピューリタンの大将がいたからです。

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オリバー・クロムウェル

その大将、オリバー・クロムウェルという人の事業は、彼が政権を握ったのは、わずか五年でありましたけれども、彼の事業は、彼の死とともにまったく終ってしまったように見えますけれども、そうではありません。

クロムウェルの事業は、今日のイギリスを作りつつあるのです。そればかりか、英国がクロムウェルの理想に達するのはまだずっと未来のことだろうと思います。彼は後世に、英国というものを遺したのです。合衆国というものを遺したのです。

アングロサクソン民族がオーストラリアを従え、南アメリカに権力を得て、南北アメリカを支配するようになったのも彼の遺蹟と言わなければなりません。

第2回

第3の遺物 〜思想〜

昨晩は後世へ私たちが遺して逝くべきものについて、まず第一に、お金のことをお話しし、その次に、事業のことをお話ししました。ところで、お金を溜める天才もない、また、それを使う天才もない、かつまた、事業の天才もない、また、事業をなすための社会的な地位もないというときには、私たちは、この世において、はたして何をしたらよろしいでしょうか。

事業をなすには、私たちに神から受けた特別の天才が要るばかりでなく、また社会上の立場が要る。私たちは、あるときは、かの人は天才があるのに、なぜ何にもしないでいるのかと言って人を責めたりするものですが、それは、たびたび起こる酷な責め方だと思います。

人は地位を得られれば、ずいぶんつまらない者でも大事業をなすものです。地位がありませんと偉い人でも、志を抱いて空しく山間に終ってしまった者もたくさんあります。

それゆえに、事業をもって人を評することはできないことは明かなことだろうと思います。それゆえに、私に事業の天才もなし、また、これをなすための地位もなし、友達もなし、社会の賛成もなかったなら、私は身を滅ぼして死んでしまって、世の中に何も遺すことはできないかという問題が起ってきます。

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著述と教育

それでもし、私にお金を溜めることができず、また、社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想です。

もしこの世の中において私が私の考えを実行することができなければ、私はこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができる。あるいは、そうでなくとも、それに似たような事業がございます。

すなわち、私がこの世の中に生きているあいだに、事業をなすことができなければ、私は青年を薫陶(くんとう)して私の思想を若い人に注いで、そうして、その人をして私の事業をなさしめることができる。

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すなわち、これを短くいいますと、著述をするということと学生を教えるということです。著述をすることと教育のことの二つをここで論じたいと思います。

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しかし、だいぶ時間がかかりますから、ただその第一、すなわち、思想を遺すということについて、私の文学的観察をお話ししたいと思います。すなわち、私たちの思想を遺すには、今の青年に私たちの志を注いでゆくも一つの方法ですけれども、しかしながら、思想そのものだけを遺してゆくには、文学によるほかありません。

それで、文学というものの要は、まったくそこにあると思います。

文学というものは、私たちの心に常に抱いているところの思想を後世に伝える道具に相違ありません。それが文学の実用だと思っています。

それで、思想の遺物というものが偉大であることは、私たちの誰もが、よく知っていることです。思想のこの世の中に実行されたものが事業です。

私たちには、この世の中で実行することができないの、種子だけを播いて逝こう、「われは恨みを抱いて、慷慨を抱いて地下に下らんとすれども、汝らわれの後に来る人々よ、折あらばわが思想を実行せよ」と後世へ言い遺すのです。それで、その遺物の大いなることは実に著しいものです。

私たちがよく知っているとおり、2000年ほど前に、ユダヤのごくつまらない漁夫や、あるいは、まことに世の中に知られていない人々が、『新約聖書』という僅かな書物を書きました。そうして、その小さい本がついに全世界を改めたということは、ここにいる人には、お話しするほどのことはない、みなご存じのとおりです。

山陽が「日本外史」にこめた志

また、山陽という人は、勤王論を作った人です。先生は、どうしても日本を復活するには、日本をして一団体にしなければならない。一団体にするには、日本の皇室を尊んで、それで徳川の封建政治をやめてしまって、それで今日いうところの王朝の時代にしなければならない、という大思想を持っていました。

しかしながら、山陽はそれを実行しようかと思ったけれども、実行することができなかった。山陽ほどの先見の明を持たない人であったなら、それを実行しようとして戦場の露と消えてしまったに相違ありません。

しかし、山陽はそんな馬鹿ではありませんでした。彼は、彼の在世中は、とてもこのことを実行できないことを知っていたから、自身の志を『日本外史』に述べました。

そこで、日本の歴史を述べるにあたっても、特別に王室を保護するようには書きませんでした。

外家の歴史を書いて、その中にはっきりと明言しないながらも、ただ勤王家の精神をもって源平以来の外家の歴史を書いて私たちに遺してくれました。

今日の王政復古をもたらした原動力は何であったかといえば、多くの歴史家が言うとおり、山陽の『日本外史』がその一つであったことはよくわかっています。

山陽は、その思想を遺して日本を復活させました。今日の王政復古前後の歴史をことごとく調べてみると、山陽の功の非常に多いことがわかります。私は、山陽のほかのことは知りません。

かの人の私行については、二つ三つ不同意なところがあります。彼の国体論や兵制論については同意しかねます。しかしながら、彼、山陽の一つの “Ambition” すなわち、「われは今世に望むところはないけれども、来世の人に大いに望むところがある」といった彼の欲望は、私が実に彼を尊敬してやまざるところです。

すなわち、山陽は『日本外史』を遺物として死んでしまって、骨は洛陽東山に葬ってありますけれども、『日本外史』から新日本国は生まれてきたのです。

ジョン・ロックはその思想によって今日のヨーロッパを支配する人となった

イギリスに、今からして二百年前に、痩せこけて背の低いしじゅう病身な一人の学者がいました。それで、この人は、世の中の人に知られないで、何の役にも立たない者と思われて、しじゅう貧乏して裏店のようなところに住まって、かの人は何をするかと人に言われるくらい世の中に知れない人で、何もできないような人でしたが、しかし、彼は一つの大思想を持っていた人でした。

その思想というのは、人間というものは非常な価値のあるものである、また、一個人というものは国家よりも大切なものである、という大思想を持っていた人です。

それで、十七世紀の中ごろにおいては、その説は、社会にまったく容れられませんでした。その時分には、ヨーロッパでは、主義は国家主義と定まっていました。

イタリアなり、イギリスなり、フランスなり、ドイツなり、みな国家的精神を養わなければならないといって、社会はあげて国家という団体に思想を傾けておった時でした。その当時は、どのような権力のある人であろうとも、彼の信ずるところの、個人は国家より大切であるという考えを世の中にいくら発表しても、実行のできないことはわかりきっていました。

そこで、この学者はひそかに裏店に引っ込んで本を書きました。この人は、ご存じ、ジョン・ロックです。その本は、“Human Understanding”です。

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John Locke
ジョン・ロック

しかるに、この本がフランスに行きまして、ルソーが読んだ、モンテスキューが読んだ、ミラボーが読んだ、そうして、その思想がフランス全国に行きわたって、ついに、1790年、フランスの大革命が起ってきまして、フランスの2800万の国民を動かした。

それがために、ヨーロッパ中が動きだして、この19世紀の始めにおいてもジョン・ロックの著書でヨーロッパが動いた。それから合衆国が生まれた。それから、フランスの共和国が生まれてきた。それから、ハンガリーの改革があった。それからイタリアの独立があった。

実にジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は非常に大きなものです。その結果を私たちも日本で、お互いが感じているはずです。私たちの願いは何でしょうか、個人の権力を増そうというのではないでしょうか。私たちがそれをどこまで実行することができるか。それはまだ問題ですけれども、何しろ、これが私たちの願いです。

もちろん、ジョン・ロック以前にも、そういう思想を持った人はいました。しかしながら、ジョン・ロックはその思想を形に顕わして“Human Understanding”という本を書いて死んでしまいました。

しかし、彼の思想は今日私たちのなかに働いています。ジョン・ロックは、身体も弱いし、社会的地位もごく低くかったけれど、彼は実に今日のヨーロッパを支配する人となったと思います。

文学とは戦いの道具なり

それゆえに、思想を遺すということは大事業です。もし私たちが事業を遺すことができぬなら、思想を遺して、そうして、将来に至って私たちの事業をなすことができると思います。

そこで、私はここでご注意申し上げておくべきことがあります。私たちのなかに文学者という者がいます。誰でも筆を把って、そうして雑誌か何かに批評でも載せれば、それが文学者だと思う人がいます。

それで、文学というものは、だらけ書生の一つの玩具になっています。誰でも文学はできる。それで、日本人の考えに文学というものは、まことに気楽なもののように思われています。山に引っ込んで文筆に従事するなどは、実にうらやましいことのように考えられています。

福地源一郎君が不忍の池のほとりに別荘を建てて日蓮上人の脚本を書いている。それをはたから見るとたいそう風流に見える。また日本人が文学者という者の人生はどういう生涯であるだろうと思っているかというに、それは絵艸紙屋(えぞうしや)へ行ってみるとわかります。

どういう絵があるかというと、赤く塗ってある御堂のなかに美しい女が机の前に坐っておって、向こうから月の上ってくるのを、筆を翳して眺めている。これは何であるかというと、紫式部源氏の間です。これが日本流の文学者です。

しかし、文学というものがこんなものであるなら、文学は後世への遺物でなく、かえって後世への害物です。なるほど、『源氏物語』という本は美しい言葉を日本に伝えたものであるかもしれません。

しかし、『源氏物語』が日本の士気を鼓舞することのために何をしたでしょうか。何もしないばかりでなく、私たちを女らしき意気地なしにした。あのような文学は、私たちのなかから根こそぎに絶やしたい(拍手)。あのようなものが文学なら、実に私たちはカーライルとともに、文学というものには一度も手をつけたことがないということを世界に向かって誇りたい。

文学は、そんなものではありません。文学は、私たちがこの世界に戦争するときの道具です。今日、戦争することはできないから、未来において戦争しよう、というのが文学です。

それゆえに、文学者が机の前に立ちますときには、すなわち、ルーテルウォルムスの会議に立ったとき、パウロアグリッパ王の前に立ったとき、クロムウェルが剣を抜いてダンバーの戦場に臨んだときと同じことです。

この社会、この国を改良しよう、この世界の敵なる悪魔を平らげようという目的をもって戦争をするのです。ルーテルが部屋のなかに入って何か書いておったときに、悪魔が出てきたので、ルーテルはインクスタンドを取って悪魔にぶつけたという話があります。歴史家に聞くと、これは本当の話ではないといいます。しかしながら、これが文学です。私たちは、ほかのことで事業をすることができないから、インクスタンドを取って悪魔にぶつけてやるのです。

事業を今日なさんとするのではない。将来未来までに私たちの戦争を続ける考えから事業を筆と紙とに遺して、そうして、この世を終ろうというのが文学者の持っている “Ambition” です。それで、その贈物、私たちが私たちの思想を筆と紙とに遺して、これを将来に贈ることが、実に文学者の事業でありまして、もし神が私たちにこのことを許しますなら、私たちは、感謝してその贈物を遺したいと思います。

有名なウォルフ将軍ケベックの市を取るときに、グレイの “Elegy” を歌いながら言った言葉があります。すなわち、「このケベックを取るよりも、われはむしろこの Elegy を書かん」と。

もちろん、 “Elegy” は過激なるいわゆるルーテルのような文章ではありません。しかしながら、これがイギリス人の心、ウォルフ将軍のような心をどれだけ慰めたか、実に今日までのイギリス人の勇気をどれだけ励ましたかしれないのです。

トーマス・グレイという人は有名な学者で、彼の時代の人で彼くらいすべての学問に達していた人はほとんどなかったそうです。イギリスの文学者中で博学、多才といったならたぶんトーマス・グレイであったろうという批評です。

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Thomas Gray
トーマス・グレイ

しかしながら、トーマス・グレイは何を遺したか。彼の書いた本は一つに集めたらば、たぶんこんなくらい(手真似にて)の本でほとんど200ページか、300ページもありましょう。

しかし、そのうち、これぞという大作はありません。トーマス・グレイの後世への遺物は何にもない。ただ 、Elegy という300行ばかりの詩だけでした。グレイの48年の人生というものは、 Elegy を書いて終ってしまったのです。

しかしながら、たぶんイギリスの国民の続くあいだは、イギリスの国語が話されているあいだは、 Elegy は消えないでしょう。この詩ほど、多くの人を慰め、ことに多くの貧乏人を慰め、世の中にまったく容れられない人を慰め、多くの志を抱いてそれを世の中に発表することのできない者を慰めたものはありません。この詩によって、グレイは万世を慰めつつあるのです。

私たちは実にグレイの運命をうらやむのです。すべての学問を48年間も積んだ人がただ300行くらいの詩を遺して死んだというと、小さいことのようですが、実にグレイは大事業をなした人であると思います。

Henry Ward Beecher
ヘンリー・ウォード・ビーチャー

Charles Wesley
チャールズ・ウェスレー

有名なヘンリー・ビーチャーが言った言葉に……私は、これは決してビーチャーが小さいことを針小棒大(しんしょうぼうだい)にして言った言葉ではないと思います……「私は60年か70年の人生を私のように送るよりも、むしろチャールス・ウェスレーの書いた“Jesus, Lover of my soul”の讃美歌一篇を作ったほうがよい」と言いました。

ちょっと考えてみると、これはただチャールス・ウェスレーを尊敬するあまりに発した言葉であって、決してビーチャーの心のなかから出た言葉ではないように思われますけれども、しかしながら、ウェスレーのこの歌をいく度か繰り返して歌ってみまして、どれだけの心情、どれだけの趣味、どれだけの希望がそのうちにあるかを見るときには、あるいは、ビーチャーの言ったことが本当であるかもしれないと思います。

ビーチャーの大事業も、決してこの一つの讃美歌ほどの事業をなしていないかもしれません。それゆえにもし私たちに思想がありますなら、もし私たちがそれを直接に実行することができないなら、それを紙に写しましてこれを後世に遺しますことは大事業ではないかと思うのです。文学者の事業というものは、それゆえに、うらやむべき事業です。

こういう事業なら、あるいは、私たちも行ってみたいと思います。こう申しますと、みなさんのなかに、また、こういう人があります。「しかしながら、文学などは、私らにはとてもできない。どうも私は今まで筆を執ったことがない。

Thomas Babington Macaulay
トーマス・バビントン・マコーリー

また私は学問が少ない。とても私は文学者になることはできない」。それで『源氏物語』を見て、とてもこういう流暢な文は書けないと思い、マコーレーの文を見て、とてもこれを学ぶことはできないと考え、山陽の文を見て、とてもこういうものは書けないと思い、どうしても、私は文学者になることはできないといって失望する人がいます。

心のままを表白するすることが文学となる

文学者は、特別の天職を持った人であって、文学はとても私たち平凡な人間にできることではないと思う人がいます。その失望はどこから起ったかというと、前にお話しした柔弱なる考えから起ったのです。

すなわち、『源氏物語』的な文学思想から起った考えです。文学というものは、そんなものではありません。文学というものは、私たちの心のありのままをいうものです。ジョン・バンヤンという人は、ちっとも学問のない人でした。

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John Bunyan
ジョン・バニヤン

もしあの人が読んだ本があるなら、たった二つでした、すなわち『バイブル』とフォックスの書いた『殉教者列伝』(“Book of Martyrs”)というこの二つでした。今なら、このような本を読む忍耐力のある人はいません。

私は札幌にてそれを読んだことがあります。10ページくらい読むと、後は読む勇気がなくなる本です。ことにクエーカーの書いた本ですから、文法上の誤謬がたくさんあります。

それでも、バンヤンは始めから終りまでこの本を読みました。彼は言いました。「私はプラトンの本も、アリストテレスの本も読んだことはない。ただイエス・キリストの恩恵にあずかった憐れな罪人であるから、ただわが思うそのままを書くのである」と言って、“Pilgrim’s Progress”(『天路歴程』)という有名な本を書きました。それでたぶん、イギリス文学の批評家中で第一番という人……このあいだ死んだフランス人のテーヌという人です……その人がバンヤンのこの著を評して何と言ったかというと「たぶん純粋という点から英語を論じたときには、ジョン・バンヤンの“Pilgrim’s Progress”に及ぶ文章はあるまい。これはまったく外からの雑まじりのない、もっとも純粋なる英語だろう」と言いました。

そうして、かくも有名な本は何であるかというと無学者の書いた本です。

それでもし、私たちにジョン・バンヤンの精神があるなら、すなわち、私たちが他人から聞いたつまらない説を伝えるのではなく、自分のこしらえた神学説を伝えるのでもなく、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くなら、世間の人はどれだけ喜んでこれを読むかしれません。

今の人が読むのみならず、後世の人も実に喜んで読みます。バンヤンは、実に「真面目なる宗教家」です。心の実験を真面目に表わしたものが英国第一等(だいいっとう)の文学です。

それゆえ、私たちのなかに文学者になりたいと思う観念を持つ人があるなら、バンヤンのような心を持たなくてはなりません。彼のような心を持ったなら、実に文学者になれない人はいないと思います。

今ここに丹羽さんがいませんから少し丹羽さんの悪口をいいましょう(笑声起る)……後で言いつけてはいけませんよ(大笑)。

丹羽さんが青年会において『基督教青年』という雑誌を出しました。それで私のところへも、だいぶ送ってきた。そこで、私が先日東京へ出ましたときに、先生が「どうです、内村君、あなたは『基督教青年』をどうお考えなさいますか」と問われたから、私は真面目に、また、明白に答えました。「失礼ながら『基督教青年』は私のところへきますと、私はすぐそれを厠へ持っていって置いてきます。」

ところが、先生、たいへん怒った。それから、私はそのわけを言いました。あの『基督教青年』を私がきたない用途に用いるのはなぜかというと、実につまらない雑誌だからです。なぜつまらないかというと、あの雑誌のなかに名論卓説がないからつまらないというのではありません。あの雑誌のつまらないわけは、青年が青年らしくないことを書くからです。青年が学者の真似をして、つまらない議論をあっちからも引き抜き、こっちからも引き抜いて、それを、はさみと糊とでくっつけたような論文を出すから読まないのです。もし青年が青年の心のままを書いてくれたなら、私はこれを大切にして年の終りになったら立派に表装して、私のライブラリイ(書函)のなかの最も価値あるものとして遺しておきましょうと申しました。

それからその雑誌は、だいぶ改良されたようです。そうです。私は名論卓説を聴きたいのではありません。

私の欲するところと社会の欲するところは、女性からは女性の言うようなことを聴きたい、男性からは男性の言うようなことを聴きたい、青年からは青年の思っているとおりのことを聴きたい、老人からは老人の思っているとおりのことを聴きたい。それが文学です。

それゆえに、ただ自分の心のままを表白してごらんなさい。そうしてゆけば、いくら文法が間違っていても、世の中の人は読んでくれます。それが私たちの遺物です。

もし何もすることができなければ、私たちの思うままを書けばよろしいのです。

私は高知から来た一人の下女を持っています。非常に面白い下女で、私のところに参りましてから、いろいろな世話をしてくれます。ある時は、ほとんど私の母のように私の世話をしてくれます。その女が手紙を書くのをそばで見ていますと、非常な手紙です。筆を横に取って、仮名で、土佐言葉で書きます。

今あとで、坂本さんが出て、土佐言葉の標本をみなさんに示すかもしれません(大笑拍手)。ずいぶん面白い言葉です。仮名で書くのですから、土佐言葉がそっくりそのままで出てきます。

それで彼女は長い手紙を書きます。実に読むのに骨が折れます。しかしながら、私はいつでもそれを見て喜びます。その女は信者でも何でもありません。

毎月三日月様になりますと、私のところへ参って「どうぞ旦那さま、お銭あしを六厘」という。「何に使うのだ」と聞くと、黙っています。「何でもよいから」と言います。やると、豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供えるのです。後で聞いてみると「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪いので」と申します。

私は感謝していつでも六厘差し出します(大笑)。それから、七夕様がきますと、いつでも私のために七夕様に団子だの梨だの柿などを供えます。私はいつも、それを喜んで供えさせます。その下女が書いてくれる手紙を私は実に多くの立派な学者先生の文学を『六合雑誌』などに拝見するよりも喜んで見ます。

それが本当の文学で、それが私の心情に訴える文学。……文学とは何でもない、私たちの心情に訴えるものです。

文学というものはそういうものであるなら……そういうものでなくてはならない……それなら、私たちはなろうと思えば、文学者になることができます。

私たちが文学者になれないのは、筆が執れないからなれないのではない、私たちに漢文が書けないから文学者になれないのでもない。

私たちの心に鬱勃たる思想が籠もっておって、私たちが心のままをジョン・バンヤンがやったように綴ることができるなら、それが第一等の立派な文学です。

カーライルの言ったとおり「何でもよいから深いところへ入れ、深いところには、ことごとく音楽がある」。実に、あなたがたの心情をありのままに書いてごらんなさい。それが流暢な立派な文学です。

私自身の経験によっても、私は文天祥がどう書いたか、白楽天がどう書いたかと思っていろいろ調べて、しかる後に書いた文よりも、自分が心のありのままに、仮名の間違いがあろうが、文法に合うまいが、かまわないで書いた文のほうが、私が見ても一番良い文章であって、外の人が評してもまた、一番良い文章であるといいます。

文学者の秘訣はそこにあります。こういう文学なら、私たち誰にでも遺すことができます。それゆえに、ありがたいことです。もし私たちが事業を遺すことができなければ、私たちに神様が言葉というものを下さり、私たち人間に文学というものを下さったので、私たちは文学をもって私たちの考えを後世に遺して逝くことができます。

誰もがみな文学者になるということは、社会にとって望ましいことではない

そう申しますと、また、こういう問題が出てきます。私たちは、金を溜めることができず、また事業をなすことができない。それからまた、それならといって、あなたがたがみな文学者になったらば、たぶん活版屋は喜ぶかもしれませんけれども、社会には喜ばれない。

文学者が世の中に増えるということは、ただ活版屋と紙製造所を喜ばすだけで、あまり社会に益をなさないかもしれません。ゆえに、もし私たちが文学者になることができず、また、文学者になる考えもなく、バンヤンのような思想を持っていても、バンヤンのように綴ることができないときには、別に後世への遺物はないかという問題が起こります。

それは、私にもたびたび起った問題です。なるほど、文学者になることは、私が前に述べましたとおり易しいこととは思いますけれども、しかし、誰でも文学者になるということは実は望むべからざることです。

たとえば、学校の先生……ある人が言うように、何でも大学に入って学士の称号を取り、あるいは、その上にアメリカにでも行って学校を卒業さえしてくれば、それで先生になれると思うのと同じことです。

私は、たびたび聞いて感じまして、今でも心に留とめておりますが、私がたいへん世話になりましたアーマスト大学の教頭シーリー先生が言った言葉に「この学校で払うだけの給金を払えば学者を得ることはいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人はいくらもいる。地質学者、動物学者はたくさんいる。

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Julius Hawley Seelye
ジュリアス・ホーリー・シーリー

しかしながら、地質学、動物学を教えることのできる人は実に少ない。文学者はたくさんいる。文学を教えることのできる人は少ない。

それゆえに、この学校に3、40人の教授がいるけれども、その3、40人の教師は非常に貴い。なぜなら、これらの人は学問を自分で知っているばかりでなく、それを教えることのできる人です」と。

これは、私たちが深く考えるべきことで、私たちが学校さえ卒業すればかならず先生になれるという考えを持ってはなりません。学校の先生になるということは、一種特別の天職だと私は思っています。よい先生というものは、かならずしも大学者ではない。大島君もご承知ですが、私どもが札幌におりましたときに、クラーク先生という人が教師で、植物学を受け持っておりました。その時分には、ほかに植物学者がおりませんから、クラーク先生を第一等の植物学者だと思っていました。この先生の言ったことは植物学上誤りのないことだと思っていました。しかしながら彼の本国に行って聞いたら、先生、だいぶ化けの皮が現われました。

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William Smith Clark
ウィリアム・スミス・クラーク

かの国のある学者が、クラークが植物学について口を利くなどとは不思議だ、と言って笑っておりました。

しかしながら、とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。どういう力であったかというと、すなわち、植物学を青年の頭のなかへ注ぎ込んで、植物学という学問の Interestインタレスト を起す力を持った人でした。

それゆえに、植物学の先生としては非常に価値のあった人でした。ゆえに、学問さえすれば、私たちが先生になれるという考えを、私たちは持つべきでありません。私たちに思想さえあれば、私たちがことごとく先生になれるという考え抛却してしまわねばなりません。先生になる人は学問ができるよりも――学問もなくてはなりませんけれども、学問ができるよりも、学問を青年に伝えることのできる人でなければなりません。

これを伝えることは、一つの技術です。短い言葉ですけれども、このなかに非常の意味が含まれています。たとい私たちが文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、これかならずしも誰にでもできるものではないと思います。

そこで、お金も遺すことができず、事業も遺すことができない人は、かならずや文学者または学校の先生となって思想を遺して逝くことができるかというと、それはそうはいきません。

しかしながら、文学と教育とは、工業をなすということやお金を溜めるということよりも、よほどやさしいことだと思います。なぜなら、独立して自分だけでできることだからです。

ことに文学は、独立してなす事業です。今日のような学校は、どこの学校でも、Mission School を始めとして、どこの官立学校でも、私たちの思想を伝えるといっても、実際、伝えることはできません。

それゆえ、学校事業は独立事業としては、ずいぶん難しい事業です。

しかしながら、文学という事業は、社会は、ほとんど私たちの自由に任せてくれます。それゆえに、多くの独立を望む人が、政治界を去って宗教界に入り、宗教界を去って教育界に入り、また教育界を去ってついに文学界に入ったことは明かな事実です。

多くの偉い人は、文学に逃げ込みました。文学は、独立の思想を維持する人のために、最も便益な隠れ場所であろうと思います。

しかしながら、ただ今も申し上げましたとおり、かならずしも誰にでも入ることのできる道ではありません。

第4の遺物 〜最大遺物である「勇ましい高尚なる生涯」〜

ここに至って、こういう問題が出てきます。文学者にもなれず、学校の先生にもなれなかったなら、そのとき私は後世に何も遺すことができないのか、という問題です。

何かほかに事業はないか、私もたびたび、そのために失望に陥ることがあります。そうしたら、私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、お金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。

そうしたら、私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならないというのでしょうか。陸放翁の言ったように「我死骨即朽、青史亦無名」(私が死んで骨が朽ち果てても、歴史に私の名は残らない)と嘆じ、この悲嘆の声を発して私たちが生涯を終るのではないかと思って失望の極に陥ることがあります。

けれども、私は、それよりもっと大きな、今度は前の三つと違って誰にでも遺すことができる最大遺物があると思っています。

それは、実に最大遺物です。お金も、実に一つの遺物ですけれども、私はこれを最大遺物と名づけることはできません。

事業も、実に大遺物であるのは間違いありません。ほとんど最大遺物と言ってもよいけれども、いまだこれを本当の最大遺物と言うことはできません。

文学も、先刻お話ししたとおり、実に貴いものであって、わが思想を書いたものは、実に後世への価値ある遺物であると思いますが、私は、これを最大遺物と言うことはできません。

最大遺物と言うことができないわけは、一つは誰にでも遺すことのできる遺物ではないから、最大遺物と言うことはできないのではないかと思うことです。そればかりでなく、その結果は、かならずしも害のないものではないことです。昨日もお話ししたとおり、お金は用い方によって、たいへん利益がありますけれども、用い方が悪いと、またたいへん害を来すものです。事業も同じことです。

クロムウェルの事業とか、リビングストンの事業はたいへん利益がありますが、そのかわりに、また、これには害が一緒に伴なっています。また、本を書くことも、同じように、そのなかに善いこともあり、また悪いこともたくさんあります。私たちは、それを完全なる遺物または最大遺物と名づけることはできないと思います。

それなら、最大遺物とは何でしょうか。

私が考えてみますに、人間が後世に遺すことができ、そして、それが誰にでも遺すことのできる遺物であり、利益ばかりあって害のない遺物があるのです。

それは何かと言えば、「勇ましい高尚なる生涯」であると思います。これこそ、本当の遺物ではないかと思うのです。他の遺物は、誰にでも遺すことができる遺物ではないと思います。

それでは、「高尚なる勇ましい生涯」とは何であるかというと、私がここで言うまでもなく、みなさんも私も先刻ご承知の自分の人生です。それはすなわち、この世の中は、これは決して悪魔が支配する世の中ではなくて、神が支配する世の中であるということを信じることです。

失望の世の中ではなくて、希望の世の中であることを信じることです。この世の中は悲嘆の世の中でなくて、歓喜の世の中であるという考えを私たちの人生に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということです。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思います。

その人が生み出した産物に増して、その人自身の人生こそ、より大きな遺物である

もし今までの偉い人の事業を私たちが考えてみますときに、あるいは偉い文学者の事業を考えてみますと、たしかに、その人の書いた本、その人の遺した事業は偉いものですが、しかし、その人の人生に較べたときには、実に小さい遺物だろうと思うのです。

パウロの書翰は実に有益な書翰ですけれども、しかし、これをパウロの人生に較べたときには価値のはなはだ少ないものではないかと思います。パウロ、彼自身は、このパウロの書いたロマ書や、ガラテヤ人に贈った書翰よりも偉い者であると思います。

クロムウェルがアングロサクソン民族の王国を造ったことは大事業ですけれども、クロムウェルがあの時代に立って自分の独立思想を実行し、神によってあの勇壮なる生涯を送ったという、あのクロムウェル彼自身の人生というものは、これはクロムウェルの事業に十倍も百倍もする社会にとっての遺物ではないかと考えます。

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Thomas Carlyle
トーマス・カーライル

私は元来、トーマス・カーライルの本を非常に敬読する者です。それで、ある人にはそのせいで嫌われたりしますが、とにかく私はカーライルという人物については全体、非常に尊敬を表しています。たびたびあの人の本を読んで利益を得、またそれによって刺激をも受けたものです。

けれども、私はトーマス・カーライルの書いた40冊ばかりの本をみな寄せてみてカーライル彼自身の人生に較べたときには、カーライルの書いたものは、実に価値の少ないものであると思います。

先日、カーライルの伝を読んで感じました。ご承知の通りカーライルが書いたもののなかで一番有名なものは、フランス革命の歴史です。

それで、ある歴史家が言ったところでは、「イギリス人の書いたもので歴史的な叙事、ものを説き明かした文体からいえば、カーライルの『フランス革命史』がたぶん一番といってもよいであろう。もし一番でなければ、一番のなかに入るべきものである」ということです。

それでこの本を読む人は、ことごとく同じ感覚を持つだろうと思います。

実に、今より100年ばかり前のことを、私たちの目の前に生きている画のように、そうして、立派な画人が書いてもあのようには書けぬというように、フランス革命のパノラマ(活画)を示してくれたのはこの本です。

それで、私たちは、その本に非常に高い価値を置きます。カーライルが私たちに遺してくれたこの本は、実に私たちの貴ぶところです。しかしながら、フランスの革命を書いたカーライルの生涯の実験を見ますと、この本よりもずっと立派なものがあります。その話は長くなりますが、ここでみなさんにお話しすることをお許しいただきたい。

カーライルの生き様

カーライルがこの書を著すのは、彼にとっては、ほとんど一生涯をかけた仕事でした。

ちょっと『革命史』を見たら、このくらいの本なら誰にでも書けるだろうと思うほどの本ではあります。けれども、歴史的な研究を凝こらして、広く材料を集めてできあがった本で、実にカーライルが生涯の血を絞って書いた本です。

それで、何十年ですか忘れましたが、何十年かかかってようやく自分の望みのとおりの本が書けた。それから、その本が原稿になってこれを罫紙に書いた。それから、これはもうじきに出版するときがくるだろうと思って待っていた。

そのときに友人が来まして、カーライルに会った際に、カーライルがその話をしたら、その友人は「実に結構な書物だ。今晩一読を許してもらいたい」と言いました。そのときに、カーライルは、自分の書いたものはつまらないものだと思って、人の批評を仰ぎたいと思ったものですから、その友人に貸してやりました。

貸してやると、その友人は、これを家へ持っていきました。そうすると、その友人の友人がやってきて、これを手に取って読んでみて、「これは実に面白い本だ、一つどうか今晩私に読ましてくれないか」と言いました。

そこで、カーライルの友人は「明日の朝早く持ってくるなら、貸してやろう」と言って貸してやったので、その人はまた、これを自分の家に持っていって一所懸命に読んで、暁方まで読んだところで、そろそろ眠らねば翌日の仕事に妨げになるということで、その本を机の上に放りはなしにして床について自分は寝入ってしまいました。

そうすると、翌朝、彼の起きる前に下女がやってきて、家の主人が起きる前にストーブに火を焚(た)きつけようと思って、ご承知のとおり西洋では紙を木っ葉の代りに用いて焚(く)べますから、何か好い反古紙はないかと思って下女が調べたところ、机の前にものが書かれた紙がだいぶ広げられていたので、下女は、これは捨ててもよいものと思って、それをみな丸めてストーブのなかに入れて、火をつけて焼いてしまいました。

カーライルの何十年ほどもかかった『革命史』を焼いてしまったのです。時計の三分か四分の間に煙となってしまった。

それで友人がこのことを聞いて非常に驚いた。何とも言うことができない。ほかのものであるなら、紙幣を焼いたなら紙幣を償うことができる、家を焼いたなら家を建ててやることもできる、しかしながら、思想の凝って成ったもの、熱血を注いで何十年もかかって書かれたものを焼いてしまったのは、償いようがない。死んだものは、もう生き返らない。そのために腹を切ったところで、それまでです。

それで、友人に話したところが、友人も実にどうすることもできないで、一週間黙っておった。何と言ってよいかわからないのです。どうも仕方がないから、そのことをカーライルに言いました。それを聞いたカーライルは、10日ばかりぼんやりとして何もしなかったということです。

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さすがのカーライルも、そうであったろうと思います。それで、腹が立った。ずいぶん短気の人でしたから、非常に腹を立てました。

彼は、そのときは、歴史など、放り出して、何にもならないつまらない小説を読んだそうです。

しかしながら、その間に、どうにか我を取り戻して自分に向けて「トーマス・カーライルよ、汝は愚人である。汝の書いた『革命史』は、そんなに貴いものではない。第一に貴いのは、汝がこの艱難を忍んで、そうして、ふたたび筆を執ってそれを書き直すことである。それが汝の本当に偉いところである。実に、そのことについて失望するような人間が書いた『革命史』を社会に出しても、役に立たぬ。それゆえに、もう一度書き直せ」と言って、自分で自分を鼓舞して、ふたたび筆を執って書きました。その話はそれだけの話です。

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しかし、私たちは、そのときのカーライルの心中を自分に置き換えて考えてみれば、実にどれほどの思いであったかを察して同情の念で心がいっぱいになるばかりです。

カーライルが偉いのは、『革命史』という本ゆえにではなくして、火で焼かれたものをふたたび書き直したということです。

もしあるいはその本が遺っておらずとも、彼は実に後世への非常の遺物を遺したのです。たとえ私たちがいくらやりそこなっても、いくら不運にあっても、そのときに力を回復して、私たちの事業を捨ててはならぬ、勇気を起してふたたびそれに取りかからなければならぬ、という心を起してくれたことについて、カーライルは非常な遺物を遺してくれた人ではないでしょうか。

何より欠乏しているのは、お金や事業や学問の原動力となる勇気、元気 〜われわれは、後世の人たちに、あの人にできたなら自分にもできるという勇気の元となる自分の生き様を残すことができる〜

今時の弊害は何であるかといいますと、なるほどお金がない、私たちの国に事業が少ない、良い本がない、それは確かです。

しかしながら、日本人お互いに、今要するものは何であるか。本が足りないのでしょうか。お金がないのでしょうか。あるいは、事業が不足なのでありましょうか。それらのことの不足は、もとよりないことはない。

けれども、私が考えてみると、今日何よりも一番の欠乏は “Life” 、生命力、生気、元気の欠乏です。

近ごろは、しきりに学問ということ、教育ということ、すなわち Culture(文化、修養)ということが、たいへんに私たちを動かします。私たちは、どうしても学問をしなければならない、どうしても私たちは青年に学問をつぎ込まねばならない、教育をのこして後世の人を戒め、後世の人を教えなければならないと言って、私たちは心配します。もちろん、このことはたいへんよいことです。

けれど、もし、私たちが今より100年後にこの世に生まれてきたと仮定して、明治27年の人の歴史を読むとすれば、どうでしょう。これを読んできて、私たちにどういう感じが起こるでしょうか。

なるほど、ここにも学校が建った、ここにも教会が建った、ここにも青年会館が建った、どうして建ったろうと言ってだんだん読んでみますと、この人はアメリカに行ってお金をもらってきて建てた、あるいは、この人はこういう運動をして建てたということがわかります。

そこで、私たちがこれを読みますときに「ああ、とても私には、そんなことはできない。今では、アメリカに行ってもお金はもらえまい。また、私にはそのように人と共同する力はない。私には、そういう真似はできない。私はとてもそういう事業はできない」と言って失望してしまうでしょう。

すなわち、私が今から50年も100年も後の人間であったなら、今の時代から学校を受け継いだかもしれません。教会を受け継いだかもしれません。

けれども、私自身を働かせる原動力をもらうわけではありません。大切なものは、もらわないに相違ありません。

もしここにつまらない教会が一つあるとすれば、そのつまらない教会の建物を売ってみたところで、ほとんどわずかなお金の価値しかないかもしれません。

しかしながら、その教会の建った歴史を聞いたときに、その歴史がこういう歴史であったと仮定してごらんなさい……この教会を建てた人はまことに貧乏人であった、この教会を建てた人は学問も別にない人であった、それでも、この人は己のすべての浪費を節して、すべての欲情を去って、まるで己の力だけに頼って、この教会を造ったのである。

……こういう歴史を読むと、私にも勇気が湧いてきます。

あの人にできたなら自分にもできないことはない、私も一つやってみようということになるのです。

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二宮金次郎は事業ではなく、その人生をもって日本国民に偉大な遺物を残した

私は近世の日本の英傑(えいけつ)、あるいは、世界の英傑といってもよろしい人のお話をいたしましょう。この世界の英傑のなかに、ちょうど私たちの留まっているこの箱根山の近所に生まれた人で、二宮金次郎という人がいました。

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二宮金次郎

この人の伝を読みましたときに、私は非常な感覚をもらいました。それで、どうも二宮金次郎先生には、私は現に負おうところが実に多いのです。二宮金次郎氏の事業は、あまり日本に広まってはいません。それで、彼のなした事業はことごとくこれをまとめてみましたなら、二十ヵ村か三十ヵ村の人民を救っただけにとどまっていると考えます。

しかしながら、この人の人生が私を益し、それから、今日、日本の多くの人を益するわけは何であるかというと、何でもない、この人は、事業の贈り物ではなく、人生の贈り物を遺したのです。この人の生涯は、すでにご承知の方もありましょうが、ちょっと申してみましょう。

二宮金次郎氏は、14歳のときに父を失い、16歳で母を失い、家が貧乏で何物もなく、そのために、ごく残酷な伯父に預けられた人です。

それで、一文の銭もなく、家産はことごとく傾いて、弟一人、妹一人を持っていました。身に一文もない孤児です。

その人がどうして生涯を立てたか。伯父さんの家にあってその手伝いをしている間に本が読みたくなった。そうしたときに、本を読んでおったら、伯父さんに叱られた。この高い油を使って本を読むなどということはまことに馬鹿馬鹿しいことだといって読ませてもらえません。そうすると、黙って伯父さんの油を使っては悪いということを聞きましたから、「それでは、私は、私の油のできるまでは本を読まぬ」という決心をしました。

それでどうしたかというと、川辺の誰も知らないところに行きまして、菜種を蒔きました。1年かかって菜種を5、6升も取りました。それから、その菜種を持っていって、油屋に行って油と取換えてきまして、それからその油で本を見ました。

そうしたところが、また叱られた。「油ばかりお前のものであれば本を読んでもよいと思っては違う。お前の時間も私のものだ。本を読むなどという馬鹿なことをしなくてよいから、その時間に縄を綯れ」と言われました。それからまた、仕方がない、伯父さんの言うことであるから、終日働いてあとで本を読んだ、……そういう苦学をした人です。

どうして自分の生涯を立てたかというに、村の人の遊ぶとき、ことにお祭り日などには、近所の畑のなかに洪水で沼になったところがありました。その沼地を伯父さんの時間でない、自分の時間に、その沼地からことごとく水を引いてそこでもって小さい鍬で田地をこしらえて、そこに持っていって稲を植えました。

こうして初めて一俵の米を取りました。その人の自伝によりますと、「米を一俵取ったときの私の喜びは何とも言えなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものゆえに、その一俵は私にとっては百万の価値があった」と言っています。

それから、その方法をだんだん続けまして20歳のときに、伯父さんの家を辞しました。そのときには、3、4俵の米を持っていました。それから仕上げた人です。

それで、この人の人生を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは、実に神様……神様とは言いません……天の造ってくださったもので、天というものは、実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだから、もし私たちがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったなら、私たちは欲せずといえども、天が私たちを助けてくれる」という、こういう考えです。その考えを持ったばかりでなく、その考えを実行した。

その話は長うございますけれども、ついには何万石という村々を改良して、自分の身をことごとく人のために使いました。

旧幕の末路にあたって経済上、農業改良上について非常の功労のあった人です。

それで、私たちも、そういう人の人生、二宮金次郎先生のような人の生涯を見ますときに、「もしあの人にも、ああいうことができたなら、私にもできないことはない」という考えを起します。普通の考えではありますけれども、非常に価値のある考えです。

それで、人に頼らずとも、私たちが神に頼り、己に頼って宇宙の法則に従えば、この世界は、私たちの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が湧いてきます。

二宮金次郎先生の事業は、大きくはなかったけれども、彼の人生はどれほどの生涯であったかしれません。

私ばかりでなく、日本中幾万の人は、この人から「インスピレーション」を得たはずだと思います。

あなたがたも、この人の伝記を読んでごらんなさい。『少年文学』の中に『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、あれはつまらない本です。私がよく読みましたのは、農商務省で出版になりました、500ページばかりの『報徳記』という本です。みなさんがこの本を読まれることを切に希望します。

この本は、私たちに新理想を与え、新希望を与えてくれる本です。実に、キリスト教の『バイブル』を読むような思いがします。ゆえに、私たちがもし事業を遺すことができずとも、二宮金次郎のような、すなわち独立生涯を躬行(きゅうこう)していったなら、私たちは実に大事業を遺す人ではないかと思います。

終わりのあいさつ

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武士の意地を失わない 〜 他の人が嫌がることをなし、他の人が嫌がるところに行くという精神

時間が長くなりましたので、もうおしまいにいたしますが、つねに私の人生に深い感覚を与える一つの言葉を皆様の前に繰り返したい。ことに私たちのなかに一人アメリカのマサチューセッツ州マウント・ホリヨーク・セミナリーという学校に行って卒業してきた方がいますが、この女学校は古い女学校です。たいへんよい女学校です。

しかしながら、もし私にその女学校を評せしむるなら、今の教育上、ことに知育上においては、私はこの学校が決してアメリカ第一等の女学校とは思いません。米国には、たくさんよい女学校がございます。スミス女学校というような大きな学校もあります。また、ボストンのウェレスレー学校、フィラデルフィアのブリンモアー学校というようなものがございます。

けれども、マウント・ホリヨーク・セミナリーという女学校は、非常な勢力をもって、非常な事業を世界になした女学校です。なぜかといいますと(その女学校はこの節はだいぶよく揃ったそうですが、このあいだまでは不整頓の女学校でありました)、それが世界を感化する勢力を持つにいたった原因は、その学校には、偉い非凡な女性がおられた。

Mary Mason Lyon
メアリー・メイソン・リヨン

その人は立派な物理学の機械に優って、立派な天文台に優って、あるいは立派な学者に優って、価値のある魂を持っていたメリー・ライオンという女性でした。その生涯をことごとく述べることは、今ここではできませんが、この女史が自分の女生徒に遺言した言葉は、私たちのなかの婦女を励ますに違いないし、また、男子をも励ますに違いないのです。

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すなわち、私はその女性の人生をたびたび考えてみますに、実に日本の武士のような人生です。彼女は、実に義侠心に充ち満ちておった女性です。彼女が何と言ったかというと、彼女の女生徒にこう言ったのです。

   他の人が行くのを嫌がるところに行きなさい。
   他の人が嫌がることをしなさい。

これがマウント・ホリヨーク・セミナリーの立った土台石です。これが世界を感化した力ではないかと思います。

他の人の嫌がることをなし、他の人の嫌がるところに行くという精神です。

それでは、私たちの人生はその方に向って行きつつあるでしょうか。私たちの多くは、そうでなくて、他の人もするから自分もしよう、というのではないでしょうか。他の人もああいうことをするから私もそうしよう、というふうではないでしょうか。

ほかの人もアメリカにお金をもらいに行くから私も行こう、他の人も壮士になるから私も壮士になろう、はなはだしきは、だいぶこのごろはキリスト教の評判が世間でもよくなったから私もキリスト教信者になろう、というようなものがあります。

関東に行きますと、関西にあまり多くないものがある。関東には良いものがだいぶたくさんあります。関西よりも良いものがあると思います。関東人は意地ということをしきりに申します。

意地の悪い奴はつむじが曲っていると申しますが、毬栗頭(いがぐりあたま)だと、すぐにわかります。頭のつむじがここらに(手真似にて)こう曲がっている奴はかならず意地が悪い。人が右へ行こうと言うと、左と言い、ああしようと言えばこうしようと言うようなふうで、ことに上州人にそれが多いといいます(私は上州の人間ではありませんけれども)。

それで、かならずしもこれは誉むべき精神ではないと思いますが、しかしながら、武士の意地というものです。

その意地を私たちから取り除いてしまったなら、私たちは腰抜け武士になってしまいます。

徳川家康

徳川家康の偉いところはたくさんありますけれど、みなさんのご承知のとおり、彼が子供のときに川原へ行ってみたところ、子供の二群が戦をしておった、石撃ちをしていました。家康はこれを見て、彼の家来に命じて人数の少ない方を手伝ってやれと言いました。

多い方はよろしいから少ない方に行って助けてやれと言ったのです。これが徳川家康の偉いところです。それで、いつでも正義のために立つ者は少数です。それで、私たちのなすべきことは、いつでも少数の正義のほうに立って、そうして、その正義のために、多勢の不義の徒に向って石撃ちをやらなければなりません。もちろん、かならずしも負けるほうを助けるというのではありません。

私が望むのは、少数とともに戦うという意地です。その精神です。それは、私たちのなかにみな欲しいものです。今日、私たちが正義の味方に立つときに、私たち少数の人が正義のために立つときに、少なくとも、この夏期学校に来ている者くらいは、ともにそのほうに立ってもらいたい。

それで、どうぞ後世の人が私たちについて、この人たちは、力もなかった、富もなかった、学問もなかった人であったけれども、己の一生涯を、めいめい持っておった主義のために、送ってくれたと言われたいではありませんか。これは、誰にでも遺すことのできる人生ではないかと思います。それで、その遺物を遺すことができたと思うと、実に私たちは嬉しい、たとい私たちの人生がどんな生涯であったとしても。

邪魔、反対、障害があるからこそ、面白い 〜 艱難に感謝すべき

たびたびこういうような考えは起こらないでしょうか。もし私に家族のしがらみがなかったなら私にも大事業ができたであろう。あるいは、もし私にお金があって大学を卒業して欧米に行って知識を磨いてきたなら、私にも大事業ができたであろう。もし私に良い友人があったなら大事業ができたであろう。こういう考えは人々に実際湧いてくる考えです。

しかし、そうはいっても、種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができるのであって、それが大事業です。

それゆえに、私たちがこの考えをもってみますと、私たちに邪魔のあるのは最も愉快なことです。邪魔があればあるほど、私たちの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく、反対があればあるほど面白い。私たちに友達がいない、私たちにお金がない、私たちに学問がないというのが面白い。

私たちが神の恩恵を享け、私たちの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、私たちは非常な事業を遺すものです。私たちが熱心をもってこれに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなります。

もし私にお金がたくさんあって、地位があって、責任が少なくて、それで大事業ができたところで何でもない。たとえ事業は小さくても、これらのすべての反対に打ち勝つことによって、それで後世の人が私によって大いに利益を得るにいたるのです。種々の不都合、種々の反対に打ち勝つことが、私たちの大事業ではないかと思います。

それゆえに、ヤコブのように、私たちの出遭う艱難について、私たちは感謝すべきではないかと思うのです。

いくばくかの遺物を蓄えての再会を期して 〜 後世への遺物を蓄える心がけで毎年毎日を進む

まことに私の言葉が錯雑しておって、かつ時間も少なくなりましたので、私の考えをことごとく述べることはできませんが、私は今日、これで御免をこうむって山をくだろうと思います。それで、来年また、ふたたびどこかでお目にかかるときまでには、少なくとも、いくばくかの遺物を蓄えておきたいものです。

この一年の後に、私たちがふたたび会するときには、私たちが、何か遺しておって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また、私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかし、それよりもいっそう良いのは、後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持って、ふたたびここに集まりたいと考えています。

この心掛けをもって私たちが毎年毎日進むなら、私たちの人生は決して50年や60年の人生ではなく、実に水のほとりに植えた樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を伸ばしてゆくものであると思います。決して竹に木を接つぎ、木に竹を接ぐような少しも成長しない価値のない人生ではないと思います。

このような人生を送ることが実に私の最大希望でございまして、私の心を毎日慰め、かつ、何事をなすにつけても私を励ますのです。

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それで、私のもう一つの題である「真面目ならざる宗教家」というのは、時間がありませんのでここでは述べません。述べませんが、それでも、私の精神のあるところは、皆様に十分お話しできたと思います。

己の信ずることを実行するものが真面目なる信者です。ただただ大言壮語することは誰にでもできます。いくら神学を研究しても、いくら哲学書を読んでみても、私たちの信じた主義を真面目に実行する精神がないあいだは、神は私たちにとって異邦人のままです。

それゆえに、私たちは、神が私たちに知らしたことをそのまま実行しなければなりません。こうしなければならないと思ったことは、私たちはことごとく実行しなければならない。

もし私たちが正義はついに勝つものであって不義はついに負けるものであるということを世間に発表するのなら、そのとおりに私たちは実行しなければなりません。これを称して、真面目なる信徒というのです。私たちに後世に遺すものが何もないとしても、私たちに後世の人にこれぞといって覚えてもらうようなものが何もないとしても、あの人はこの世の中に生きているあいだは真面目な人生を送った人だと言われるだけのことを後世の人に遺したいと思います。(拍手喝采)

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最後に

いかがでしたでしょうか。

どんな人も、お金や事業、思想といった目に見える形の遺産だけでなく、精いっぱいの気概をもって生き抜いたその生き様、人生そのものを、「後世への最大遺物」として遺すことができる。

この考え方を、私はとてもすばらしいものだと思います。

私たちは、ともすれば、どれだけ多くのものやお金を手に入れたか、どれほど大きな仕事を成し遂げたか、どれほど世の中に名を残し、他者への影響を及ぼしたかといった「規模」や「成果」によって、人の人生の価値まで測ろうとする社会の物差しにとらわれてしまいます。

けれども、はたして人生の価値は、そんな物差しだけで測れるものでしょうか。

たとえ大きな財産を遺さなくても、歴史に名を残すような事業を成し遂げなくても、後世に伝わる思想を打ち立てなくてもいい。

一人の人間が、自分に与えられた人生を引き受け、迷い、悩み、ときには傷つきながらも、それでも自分なりに精いっぱい生き抜くこと。

その姿そのものが、誰かを励まし、誰かに勇気を与え、次の世代へと受け継がれていくものになる。

内村鑑三先生の「後世への最大遺物」が時代を超えて私たちの心を打つのは、そんな、人間の価値についての普遍的な真理を語っているからではないでしょうか。

弁護士という仕事をしていると、常日頃から、自分以外の方の人生の大きな転機に立ち会うことになります。

人生には、自分では望んでいなかった出来事によって、それまで思い描いていた道を歩けなくなることもあります。紛争や事故、別れや喪失によって、「自分の人生はこんなはずではなかった」と思うこともあるでしょう。

それでも、人生の価値まで失われるわけではありません。

何が起こったかだけではなく、その出来事とどう向き合い、そこからどのように生きていくか。

その選択の一つひとつによって、私たちは最後まで自分自身の人生をつくっていくことができるのだと思います。

そして、いつか人生を振り返ったとき、

「この人生を生きてよかった」

と思えること。

そんな人生そのものこそが、私たち一人ひとりがこの世界に遺すことのできる、かけがえのない「後世への最大遺物」なのかもしれません。

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