What is hell?
地獄とは何か。
I maintain that it is the suffering of being unable to love.
断言しよう。それは、愛することのできない苦しみであると。

Fyodor Dostoyevsky
フョードル・ドストエフスキー
Hell is yourself and the only redemption is when a person puts himself aside to feel deeply for another person.
地獄とは己自身という檻のことだ。だから、唯一の救いは、自分を脇に置いて他者の思いに深く寄り添うことなのだ。

Tennessee Williams
テネシー・ウィリアムズ
【弁護士が観たドラマ『地獄が呼んでいる』】

全員が「裁判官」気取りのディストピア――ネットの私刑(リンチ)と「地獄」のリアル
今回ご紹介するのは、Netflixで世界的大ヒットを記録した韓国ドラマ『地獄が呼んでいる』(ヨン・サンホ監督)。

ある日突然現れた変な幽霊みたいな天使によって、お前は何月何日何時何分何秒に地獄行きとなると告げられ、あらかじめ告知された日時に、地獄の使者、大きくて真っ黒でムキムキなゴリラみたいなモンスター3体が突然現れて、告知を受けた人間を殴る蹴る投げるのフルボッコ状態に叩きのめしてから、手から高熱の光線を発して焼き殺し、地獄へと引きずり込む——という、一見するとド派手なSFホラー作品です。
しかし、このドラマが描く「真の恐怖」はモンスターそのものではありません。
モンスターの出現に乗じて「誰もが他人を裁く裁判官になり、他人の失敗を吊し上げて鬱憤を晴らすようになった世界」——そう、今の私たちが生きる現実のSNS社会を極限まで推し進めた先にあるような、狂気のディストピア像なのです。
法律実務家の視点から、本作が突きつける「3つの恐怖」についてお話ししたいと思います。
1. 誰もが「裁判官」になる地獄:SNS私刑と「溜飲を下げる」無敵の正義
人間は、いかに不条理な出来事でも、それを受け入れざるを得ない境遇に置かれると、認知的不協和を解消するために、その出来事に意味を求めるようになります。物語の中では、「地獄行きを告げられた者は、過去に何らかの罪を犯した悪人である」という新興宗教団体(新真理会)の教義が、この意味を示すものとして世の中を支配していきます。
すると何が起きるか?
民衆は「地獄行きを告げられた奴=悪人=叩いていいターゲット」と認定し、対象者やその家族のプライバシーを特定してネット上に晒し上げ、徹底的に叩き潰すようになります。
これ、どこかで見た光景だと思いませんか?
現代のネット社会でも、芸能人のスキャンダル、バイトテロ、交通事故の加害者などが連日SNSで拡散され、見知らぬ人々によって過剰に叩かれています。しばらく前には、私人現行犯逮捕系ユーチューバーが一世を風靡しました。
このような市民によるネット・リンチをはじめとする私刑(リンチ)以外にも、社会的・制度的にいまだに日本社会で無罪推定の原則にもかかわらず、昔から地域の夕刊紙等で被疑者段階で逮捕記事で実名報道がなされる慣行があり、裁判で有罪となる前に起訴すらされない時点で既に社会的に大きなダメージを被るという実情があります。
そこにあるのは「法の手続き」ではなく、「正義の味方の仮面を被って他人を引きずり下ろし、日頃のストレスの溜飲を下げる」という暗い欲望です。
法的な適正手続き(デュー・プロセス)を無視し、感情のままに他人に判決を下す「一億総裁判官時代」の怖さが、本作ではリアルに描かれています。
2. 「自警団」の暴走と公序良俗:正義感という名の暴力
ドラマには、新真理会の尖兵として暴力を振るう集団「矢じり」が登場します。彼らはネット配信で扇動され、ターゲットに直接的な暴力を加えに行きます。

法律の基本原則として、「自力救済(じりょくきゅうさい)の禁止」というものがあります。どんなに相手が許せない犯罪者であっても、個人の判断で暴力を振るったり制裁を加えたりすることは法律上認められていません(だからこそ、警察や検察、裁判所という組織が存在します)。
しかし、「矢じり」のような自警団は「自分たちは世直しをしている」「公序良俗を守っている」という強烈な善意(思い込み)のもとで行動するため、タガが外れた暴力行為に歯止めがかかりません。
「正義感ほど凶暴な感情はない」ということを、過激化する彼らの姿は酷い痛みを伴って教えてくれます。
3. 警察国家と法治主義の崩壊:超法規的な存在に屈する社会
国家や警察の役割とは何でしょうか。それは「法律に基づいて市民の権利を守る」ことです。
しかし本作において、警察や国家は「神の意志」を語る新真理会の権力と、過熱する世論に押され、機能を完全に麻痺させていきます。法的根拠のない「宗教的・道徳的な正義」が、国家の法律を凌駕してしまうのです。
もしも警察、検察、裁判所が「世間の空気」や「ネットの炎上」に屈し、法的手続きを無視して人を逮捕・起訴・処罰するようになったら——それこそが「警察国家」であり、「法治主義の死」です。
法廷というルールが存在しない世界で、噂話やフィーリングだけで人が裁かれていく恐怖。それはモンスターに襲われること以上に、社会の根底を揺るがす絶望です。
まとめ:私たちは「地獄の観客」でいられるか?
『地獄が呼んでいる』は、不条理な恐怖を描くと同時に、歴史から学んで、人権侵害や差別を教訓として制度化した仕組み、手順に則って理性によって裁くという共有財産としての司法制度を捨てて、感情に流されて他人を裁こうとする人間がいかに愚かで恐ろしい存在になり下がってしまうか、を強烈に皮肉った名作です。
自分の胸に手を当ててみてください。
ネットニュースのコメント欄で、見知らぬ誰かを叩いて「スッキリした」気持ちになったことはありませんか?
もし少しでも心当たりがあるなら、あなたもすでに「地獄」の住人になりかけているかもしれません。
「罪とは何か」「他者を裁くとはどういうことなのか」を深く考えさせられる本作。自信を持っておすすめしますので、まずはシーズン1からご覧ください!
